神奈川県立旭高等学校 3年

杉 内  奈穂子
 

私にできる小さなこと
 
 私の父は、網膜色素変性症という視野の狭くなる難病にかかっています。そんな父が2003年アテネパラリンピックの競泳に出場しみごと銅メダルを獲得しました。それから約10年、現在、父は現役を引退し、自分がたくさんの人からもらった支援や応援を少しでも返したいと考え、次期パラリンピック出場選手の育成ボランティアに励んでいます。

 そんな父の後ろ姿を見ているうちに私も何かできることはないかと思い父のボランティアを手伝うようになりました。

 高校2年の夏休みに、私は父と連れ立って横浜市立舞岡小学校のプールを借りた練習会に参加しました。私自身、水泳は子どものころから習っていましたが、特に秀でているわけでもなく水泳の基礎的な知識しかありません。また、参加者は身体障がいを抱えている方で、その支援をするための知識も私は持っていませんでした。そのため私は何ができるのか、何を支援していけばよいのかということが分からず、とても不安に思っていました。初めての練習会のとき、まず私にできることは、盲の方の駅から小学校までの歩行介助でした。父も視野に障がいがあるため、歩行補助は経験があったので少し自信がありましたが、全盲の方の介助だったので小さな障害物や階段などを的確に伝えることがとても難しく苦労しました。他にも練習会では、着替えの介助、トイレまでの付き添い、タイム計測など私でもできる小さな事がたくさんありました。

 私が1番苦労したのは、私自身は目が見えているので、見えている前提で話を進めてしまい相手の方に話が伝わらなかったことです。しかし何度か参加するうちに、皆さんの顔も覚え、どう動けばよいのか、何を求めているのかが何となく分かるようになりました。このように、私は高校2年生の夏休みを父のボランティアの手伝いをして過ごしました。

 練習会最終日には、「来年もぜひお願いします。」と言ってもらうことができて本当にうれしく印象に残っています。今年の夏も私は受験生ではありますが、できる限り参加し、支援させていただきたいと考えています。「私の特技はこれです!」と言えるような目立った特技は1つもありませんが、来年のリオデジャネイロパラリンピック、5年後の東京パラリンピックを目指す方々に、自分のできることで精一杯の支援をし、応援したいと思うこの気持ちこそが今の私の最大の特技だと考えています。また大学生になったら、年齢制限があるため今はまだ取得できない初級障がい者スポーツ指導員の免許を取得し、本当の特技として役立てたいと考えています。

 父からもらった些細なきっかけで始まったボランティア活動でしたが、いろいろな方と触れ合うことで私自身も成長し、自分にとって何ができるか、これからどのようにすればもっと役立つことができるかを考え行動することができました。

 この気持ちを持ち続けることで、私は東京オリンピックを盛り上げていきたいと思っています。


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