熊本県立玉名高等学校 1年

田 添  寧 々
 

歴史、文化にふれる
 
 「将来の夢は決まったの」「進路はどうするの」と高校生になってよく聞かれるようになった。そんな質問に、今の私は自信を持って答えることができる。その答えは、忘れることのできない、あの日がきっかけだった。

 私は幼い頃から日本の歴史、文化が好きだった。それは、もともと歴史が好きな親、自分の名前の由来、神社の巫女など、影響を受ける機会が多くあったからだろう。また、熊本のシンボル、熊本城に何度も行ってはその美しさに心を奪われていた。このようなことから、私の将来の夢は自然と「歴史や文化に関わる仕事」へと定まっていった。

 そして、忘れもしないあの日が訪れる。4月14日の熊本地震である。何度も何度も、大きな地震が熊本の人たち、九州の人たちを襲った。あれほど自分の命の危機を感じたことはなかっただろう。少しでも多くの情報を得ようとテレビの前に座ることが多くなった。そこで私は、大きく目を見開くこととなる。

 テレビ画面いっぱいに映ったのは、崩壊し、ボロボロになった熊本城。石垣は崩れ、瓦は落下し、美しい姿は消え去っていた。今にもすべてが崩落してしまうのではないかとも思われた。

 このテレビに映った現実を、私は悲しく、辛く受け止めることしかできなかった。

 そのあとも度重なる余震で修理を行えず、いくつかの記事には、「すべての修理に10年以上かかる可能性がある」と掲載されていた。このとき、私に何かできることはないだろうか、と考えたが、高校生の私にできることなど、募金ぐらいなものだった。

 余震の回数も減ってきたある日、母が私にぽつりと言った。「あんたが熊本城の修理をしたら」と。昔の建物が今も残っているのは、それを修理、保存してきた人がいるから、だからその職に就けば良い、というのが母の考えだった。

 この考えを聞いた時、私は人生において何かとても大切なものを見つけたように感じた。今考えれば、それは私自身の生き方だったのだと思う。熊本城の修理をできる未来が来たら、どんなに幸せなことだろう。新しいおもちゃをもらった子どものように、私は目を輝かせながら「修理する仕事」について調べはじめた。

 現在の私の将来の夢は、保存修理技術士になることだ。この仕事の内容は、名前のまま、歴史的建築物の保存、修理をすることだ。歴史が大好きな私には、この上ない幸せな職である。

 しかし、この職に就くのも、やはり一筋縄ではいかない。学力だって必要であるし、その学力で建築士の資格をとって、やっと保存修理技術士への門が開かれる。そのためにも、高校生の私が今やるべきことはやはり勉強だ。それ以外にも、建築の知識や経験を積んでいきたい。自分の将来の夢に誇りをもって、まっすぐ突き進んで行くのだ。

 また、先ほども言ったように、私は自分自身の生き方を見つけることができた。今までの話から分かる人もいるかもしれないが、日本の歴史、文化にふれながら生きる人生だ。日本各地の、現代に残った歴史を見てまわり、その美しさにふれていきたいのだ。日常生活の中で、すばらしい日本の文化を感じていきたいのだ。そして今度は、残された歴史、文化を私が保存し、未来の人々へ伝える側に立ちたい。伝えることによって、私のように、このすばらしさに気がつく人が多くいたらとても嬉しい。そしてそれが、私の生きがいになるだろう。

 日本という和の国に生まれて私は幸せだ。この国の歴史、文化とともに生きていこう。それが私の生き方だから。


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