国際パティシエ調理師専門学校高等課程1年

鈴 木  由 乃
 

己が行く道
 
 2000年、梅雨。雨にぬれた木の葉からは雫が落ち、辺りを土の香りが包む頃、私は産声を上げた。

 幼い私は泣き虫なのにとても危ない子で、昼寝をしていたと思えばいつの間にか道路を歩いていたり、2階の窓からお向かいさんちの屋根に落ちたりと、いつ命を落としてもおかしくない子供だった。それなのにどうだろう。私は今、持病はあるものの、元気に生きているではないか。これは神様の御加護か、神様に生きろと言われているのか。生命の不思議であるが、私は、これは運命なのだろうと考えている。

 そんなことを考えながら日々を過ごしていると、ある日、私に転機が訪れた。叔母の家でシフォンケーキを作ることになったのだ。初めて作るため、ほとんどは見ているだけだったがそれは楽しいもので、私は少し、お菓子作りというものに興味を持った。それがきっかけで私は、試しに次のバレンタインは母の協力のもと自分で作ってみようと考えた。そして2月13日。興味本意で始めたお菓子作りは、なかなか大変なものだった。分量を計り、混ぜ、生地をこね、寝かせる。思っていたよりもお菓子作りというものは難しかった。しかし、初めて作ったそれを、家族は美味しいと言って食べてくれたのだ。それは御世辞ではなく、心からの言葉で、私は至極うれしかった。

 それからというもの、私は己がお菓子を作ることによって、人を喜ばせることができると知り、どんどんお菓子作りにはまっていった。バレンタインは全て自分で作り、小学校のクラブ活動も手芸・料理クラブというものに入って、簡単なものではあったが、少しずつ、少しずつ知識を身に付けていった。

 私がお菓子作りを始めてしばらく経った頃、中学生の時である。ある日父が「サロン・ドゥ・ショコラに行こう。」と言ったのだ。サロン・ドゥ・ショコラとは、一体何なのか。疑問に思い父に聞いてみると、チョコレートの展示のようなものだと言う。チョコレートの展示、と言われても想像ができずとりあえず私は行ってみることにした。そして私は、衝撃を受けた。

 沢山の人々に埋めつくされた会場、その中でキラキラと輝く宝石のようなチョコレート、会場全体を包む甘い香り。夢のような場所だった。そこでは、チョコレートの販売、試食など様々なことが行われていて、その上それらの商品を作ったショコラティエ本人がその場に居るのだ。まさに夢の国。私は至極その展示を楽しんだ。楽しんでいて、そして気づいた。会場に居る人々が、全体が、皆笑顔なのだ。チョコレートを買った人、食べている人、店員までもが笑顔なのだ。それを見て、私は感動した。お菓子というものは、こんなにも沢山の人々を笑顔にできるのだと。

 そしてこうも思った。私もこんな風に、人々を笑顔にしたいと。その時、ふとあることを思い出した。幼い頃、私は神様に生かされていると思った時のことだ。もしかしたら私は、いや、もしかではない。私は、お菓子を作り、そして人々を笑顔にするために生かされているのではないか、そう思った。そう思ったとたん、心の中の疑問が、ぽっかりと空いていた穴が、埋まった気がした。幼い頃、神様に生かされ、お菓子作りと出会い、チョコレートと出会った。これは生命の不思議であり、運命だ。そして、決意した。私は将来、こんな風に人を笑顔にできるパティシエになろうと。

 そのためにはどうしたら良いのか、学ばねばなるまい。きちんとした技術を得なければなるまい。そう考えて、私は今、製菓の高等専修学校に通っている。これから、どんどん技術を得て、成長し、いつか必ず世界を素敵な笑顔でいっぱいにできるようなパティシエになるのだ。


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