武蔵野東高等専修学校 2年

加 藤  光 華
 

備蓄水が教えてくれた忘れかけた3・11
 
 今年、家の備蓄水の消費期限が切れた。それは3・11後に非常用のために母が買い、最近まで存在を忘れていたものだ。最初、期限切れに気がつかず、私が学校の備蓄の缶詰を持って帰ったのをきっかけに確認して気がついた。しかし、確認した時にはすでに半年の期限切れ。その後、掃除用水として使ったが、我が家に新しい非常用水はしばらく現れなかった。

 3年前、備蓄後初めて期限が切れる時は前もって買い直していた。なのに、どうして今回は忘れたのだろう。引き戸の中にしまっていたから?普段使わないから?いや、それなら3年前も忘れたはず。意識だ。防災意識が低下している。「大丈夫、今はまだ来ない」。どこかで思っているから我が家の備蓄水の購入が遅れたのだ。地震がいかに身近で、突然やってくるか忘れている。身をもって体験してからまだ6年しかたっていないのに。

 2011年3月11日14時46分、東日本大震災発生。昼下がりの算数の授業中、突如、緊急地震速報が鳴り響いた。それまで地震も緊急地震速報も体験済み。みな慣れた様子で机に潜る。その日の揺れは何かおかしい。時間が長い。いつまでたっても揺れが収まらない。収まるどころか大きくなっていく。今まで経験したことのない揺れに、学校が崩れるのではと思い始めた頃、ようやく揺れは収まり始めた。机の下から見た揺れる金魚鉢の水は今でも覚えている。

 怖い体験は意識を変えた。まず、次に来るかもしれない関東への大地震に備え、備蓄品を買った。そして、持出し用リュックを作り、家族で集合場所、学校からどうやって帰るか話し合った。その当時は、雑誌を見れば持出し用リストが特集され、テレビをつければ避難に大切なことを教えてくれた。怖さにおびえて地震の夢を見たこともある。そう、いたるところに3・11が教えてくれた地震の恐怖があった。だから地震に対する日々の意識があった。そして私は地震に対し備えができていると錯覚したのだ。

 あれから6年、このざまである。できた気になっていた備えは次第に忘れ、気がつけば水の期限も切らしている。備えのきっかけの3・11の事も日々を重ねるうちに風化し考えなくなっていた。喉元を過ぎれば熱さを忘れる。誰も地震に関心を持たなくなっていた。連日やっていた防災のニュースは消え、国会の政治家たちの議論などに変わった。持ち物チェックはオシャレなコーデ特集に。そして東日本の仮設住宅や商店街、原発、風評被害の話題は3・11当日でさえ、あまり触れられなくなり始めた。

 天災は忘れた頃にやってくる。忘れ始めた私たちにぴったりの言葉だ。日本が地震大国なのは変わらない。首都直下型地震や南海トラフもいつかは起こる。それが明日か100年後かはわからないが。ただ、30年以内に起きる確率はとても高い。

 もう一度確認するべきではないだろうか。避難ルートを。避難の注意点を。火の始末方法を。津波の危険区域を。一つひとつは小さな3・11からの教えだ。しかし、だからこそ実践できる。忘れてしまった教えもあるはずだ。3・11後買い直した備蓄品の期限が切れる。年齢も通っている学校も変わった。今だから調べ、確認するべきだろう。もうテレビや雑誌では防災の事はやってくれない。けれど便利なパソコンはある。まずは持ち物リストからだ。

 貴方の家に備蓄品はありますか?


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