山梨県立上野原高等学校 2年

守 屋  歩 美
 

女性であるからこそできること
 
 享年34歳。「若すぎる死ですね」と、テレビのレポーターが語っていた。先日、乳がんで亡くなった小林麻央さんの報道での言葉だ。私はこの言葉を聞いて胸がつまる思いがした。そしてどのような困難も乗り越えて、夢を叶えようと決意した。

 私は将来、放射線技師になることを目標にしている。この職業を意識するようになったきっかけは、中学2年生の時の心電図検査だった。初めてのレントゲン室、大きな機械、飛び交う聞き慣れない言葉、周囲は大人の男性だけだった。

 「何をされるかわからない」という不安が私につきまとっていた。検査が終わり、強い緊張感から解放された後、改めて家に帰ってから本やインターネットを使って「放射線技師」の仕事内容を調べてみた。そして、CT・MRI・マンモグラフィーなど様々な検査があるということが分かった。

 「技師が女性だったらよかったのに」。男性しかいない病院の検査室を思い起こし、そう思った。そして「女性の検査技師になって患者の不安を和らげるのもいいな」そう思った。ただ、その頃はまだ「なんとなく」この仕事に就きたいとしか考えておらず、今のように明確な目標を持っていなかった。

 しかし、今から3年前に乳がんと闘う小林麻央さんのニュースを見て、私はこの職業に就きたいと強く思うようになった。乳がんは乳房の乳腺から発生するがんであり、現在日本で急増している病気だ。女性の14人に1人が患う病気という。「小林麻央さんによって、この病気を気にした、知った」という女性も多いのではないだろうか。

 乳がんの検査はマンモグラフィーといい、放射線技師が行う。マンモグラフィー検査をしたことのある女性に聞いたところ、「とても痛い」と話していた。「あの痛みは、女性にしか分からない」とも言っていた。

 しかし、今の放射線技師の割合は7対3で圧倒的に男性が多い。いくら検査とは言え、裸や胸を男性に見られることは女性にとって苦痛であると思う。心身の面で様々なストレスを抱える女性にとって、看護師だけではなく、女性医師や女性技師の存在は重要なものであるはずだ。少なくとも私はそう思う。中学2年生の私が感じた不安を思い出し、女性である私が技師になることで、今後検査に来る子ども達や女性の不安を少しでも解消できるのではないかと考えた。

 そして小林麻央さんが今年の6月に亡くなった時、「この職業に必ず就く」と強く決意した。彼女のブログやニュースを見るたび、私は更に努力しようと心に誓った。家族をはじめ、周囲の人に愛を与え、最期まで乳がんの患者を励まし続け、天国へ旅立った小林麻央さんの存在は、私の原動力である。

 現在、乳がんで命を落とす女性は1万人弱と言われている。1960年頃は2千人弱だったものが、たった50年で約5倍に増えている。乳がんで死ぬリスクを1%でも減らすためには、2年に1度のマンモグラフィーやエコーなどの検査、そして常日頃から自分で触って、異変があったらすぐ気づけるように「自己検診」をすることが重要だ。

 「どこで検査したらいいのか分からない」「交通の便が悪く検査したいのにできない」という女性の声がある。乳がんの受診率を上げるためには、こういう問題を一つずつ解決し、啓発活動をしていくことが大切だと考える。欧米では、乳がんの受診率は70%を超えている。日本はまだそれに追いついてはいない。

 検診の大切さを更に多くの女性に知ってもらい、いつか乳がんで命を落とす女性を0(ゼロ)にしてみせる。そのためには努力を惜しまない、それが私の将来像であり、理想とする姿だ。その夢を叶えるためには、どのような困難も乗り越えてみせる。小林麻央さんの死に際し、強く誓った今年の6月だった。


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