宮城県農業高等学校 3年

佐 藤  亜 記
 

サクラサク未来へ
 
 「ドンッ」不気味な地鳴りの後に大きく視界が傾いた。「地震だ。身を守れ」誰かの声を境に部屋の明かりが消えた。津波による行方不明者の数、助けを求めるメッセージがラジオから流れ、幼心に何が起こったのかを理解し、大震災は私の心に恐怖を植え付けた。

 それから4年、日本料理人になるという夢を叶えるために宮城県農業高等学校の食品化学科に進学した。学校は大震災で被災し、現在は内陸部の仮設校舎で学んでいる。

 入学後、勉強の一環で被災した学校に行くことになった。私はあの時の記憶がよみがえることを恐れ、被災地へ行くことを避けていた。到着すると目の前には荒れ果てた水田や瓦礫が積み上げられ、震える手で涙を拭った。

 現状を受け入れようと周りをゆっくり見渡すと一輪だけ咲いている花が目に入った。それは今にも枯れそうな桜。何もない廃墟に咲く桃色の花が「まだ生きているよ」と私に訴えかけてきた。中学から科学部に所属していた私は、植物の増やし方を知っていたので、この桜を後世に残し復活させたいと活動を開始した。

 まずは、被災地で桜の新芽を取り、元気な台木につける「接ぎ木」という技術で少しずつ苗木を増やした。元気な苗木を沿岸部に植えると、しばらくして枯れてしまった。

 調べると桜は塩分に弱く、海からの潮風に影響を強く受けていることが分かった。そこで、防風対策にネットや箱で苗木を覆ったが枝が伸びずに失敗。簡単に復活できると思っていた活動はすぐに暗礁に乗り上げた。

 そんな時、沿岸部の歴史を調べているとナデシコという植物が塩害に強く、一度植えれば毎年花を咲かせてくれることを知った。試しに桜の周りに植栽すると苗木への潮風を防ぎ、翌年には小さな希望の花を咲かせた。

 今まで改良を続けてきた桜の植栽数は600本を超え、地元の人に「楽しみだね」と言われることが嬉しかった。今年の6月には「植栽会」と称して地元の子どもたちと一緒に楽しみながらナデシコ類を150本の桜の周りに植えることができた。参加してくれた子どもたちが大人になる頃には、今の荒れ地が桃色に染まっているだろう。いつしか私は被災地への恐怖心を感じずに活動できるようになっていた。

 ようやく綺麗に咲いた桜だが、仮設住宅の高齢者は見に行くことが難しくなっていた。何とか、復活した桜を感じてほしいと思い「桜の塩漬け」に挑戦した。花びらを優しく洗い、水分を拭き取り、酢と塩をかけて3日放置。灰汁を丁寧に取り除き、天日干しをして、塩を軽くまぶし瓶に入れて完成。試行錯誤の結果、桜の香りを感じられる簡単なレシピを考案し「桜湯」と名付けた。

 地域の集会所で試飲会を開き「桜湯」を振る舞うと「こりゃ、いいねぇ。桜の香りで春を感じるよ」と自然とたくさんの笑顔が見られたことは一生の思い出だ。

 この活動はたくさんの方に認められ、グッドライフアワードで環境大臣賞を受賞することができた。私一人だけではなく仲間や先生、そして被災地のみんなと成しえた結果だと思う。

 どれだけ多くの笑顔に助けられただろう。恐怖と課題に向き合いながらも、人の笑顔が私に力を与え、いつしか継続できる力となっていた。この思いを一生の仕事に活かしたい。

 現在は地元の料亭に就職するという目標のために商品開発の勉強をしている。桜を通してたくさんの人を笑顔にできたからこそ、復活させた桜を使った日本懐石料理を作ることが私の夢。料理人は下積み期間が長く一人前になるには何年もかかるだろう。しかし、諦めなければどんな壁も乗り越えられることを、この経験から学ぶことができた。私の料理で「美味しい」と笑顔で心もお腹もいっぱいにしたい。

 大震災から生き残った瀕死の桜は私に希望という「種」を与え、被災地の課題や笑顔は私を成長させる大切な「水」となった。この活動のおかげで将来の夢という芽を出すことができた。これからは日本料理人として綺麗な花を咲かせたい。被災地を見守る桜のように。  サクラサク未来へ。


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