武蔵野東高等専修学校 3年

坂 田  音 文
 

身近な気付きが大きな夢へ
 
 現在、私には夢があります。心理カウンセラーになることです。私がこの職業を志したきっかけは、高校生活で出会った人達にあります。私は、幼稚園の頃から武蔵野東という一つの大きな学園に通っています。この学園の一番の特色として「混合教育」があります。

 混合教育というのは障害のある生徒と障害のない生徒が共に教育を受けることです。混合教育と聞くと堅苦しく考える人もいると思いますが、決してそんなことはありません。ごく自然に行われています。私自身も混合教育をごく自然なことだと考えています。

 私は幼稚園の頃からこの学園で混合教育を受けてきました。私自身にも障害があります。忘れてしまうことが多かったり、整理整頓ができなかったり、一つひとつは「大したこと」ではないと片付けられてしまうのかもしれません。ですが、やはり普通とは少し違う、「ズレ」があるということは生きていくうえで難しいと言わざるを得ないことなのかもしれません。

 私自身に配慮の必要性があると考える時、この学園で過ごしてきたことに心からよかったと思います。配慮を身近に感じながら17年間の人生を歩んできて「良いことばかりではなかった。でも、それ以上に楽しいことが毎日に溢れている」と実感しています。目に見える配慮と目に見えない配慮の仕方があると思います。私の場合は、前者を中学校までに、後者を高校生活で受けています。

 心理を志したきっかけはまさにここにあります。目に見える配慮というのは、例えば、「代わりにやっておいたよ」や「今度教えるよ」などと本人の失敗や気付いていないことを直接伝えること。一方で、目に見えない配慮というのは「失敗していたよ」や「知らないよ」などと本人が失敗を実際にしてから、未然にではなく事後であることが多いです。

 私自身、今までしてもらっていたことに何の疑問も持たなかったことに対し、配慮の仕方を変えてもらうことで気付くことも増えました。中学校までと違って私を気づかって本音を隠すような人はいません。だからこそ私の本音もぶつけられるこの環境は最高だと思います。

 私は、高校生になって部活動のキャプテンを任されました。この部活動の中にも障害のある生徒と障害のない生徒がいます。当然、一つの指示を出しても一斉に動ける訳ではありません。私の説明不足もあります。そんな時「自分に言うなら今の言葉は言い換えた方が良い。抽象的な表現ではなく具体性のある表現にすべきだった。」と思い直します。

 普通の人には「わからない」や「何故?」と考える場面もあるでしょう。しかし、私は「わからない」訳ではありません。理解はできていても、上手にイメージができないだけだと考えます。何故なら、私と同じように言葉の本当のニュアンスがわからず苦しんでいる人の存在を知っているし、何より私自身もその「ズレ」に苦しんでいる一人だからです。中学校までとは違います。「配慮」を受ける側から「配慮」のできる側へと少しずつ変化し、近づいていると思います。

 最近、誰かに頼られたり、「頼りにしている」と声を掛けられることが多くなりました。私の学校は高等専修学校であり、職業教育を掲げている学校です。確かに、普通の高校生と比べられてしまえば、それまでかもしれません。けれども「普通」の高校生にはない「曇りのない感情」をこの3年間で培ったのは紛れもない真実です。

 私の将来の目標は心理カウンセラーになることです。世間では「目に見える弱者」に注目をします。もちろん、配慮が必要であったり、支援が必要です。私は、「目に見えない弱者」にももっと注目すべきだと思います。身近な気付きから広がる世界が必ずあると私は信じています。この世界にもっと配慮の輪が広がることを願っています。


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