小林聖心女子学院高等学校 2年

西 尾   萌
 

2020年の私
 
 私は、「普通」の高校生です。仲の良い友人と学校へ行き、勉強をして、クラブ活動で汗を流す充実した日々を送っています。ですが、私は周りの友人とは違った特技をもっています。それは、能を舞うことです。

 おそらく、ほとんどの生徒が音楽や日本史の授業で能のことについて学んだでしょう。でも、何だか難しそう。動きがゆっくりすぎて、眠たくなってくる。歌舞伎なら観たことがあるけれど、能はないなぁ。こんな言葉を友人から聞きます。実は私も、最初はそう思っていたのです。

 私と能の出会いは、小学2年生の頃です。祖母の影響で、幼い頃から観劇が好きで色々な演目を観てきました。能楽堂へ行って能を観たのが、出会いのきっかけです。当時は、ストーリーも全く分からないまま観たので、役者さんが言っている言葉と振りの意味が幼い私に理解できるはずもなく、本当のことを言うと退屈でした。私も周りの友人と同じように感じていて、能のすばらしさに気付くのはもっと後のことになります。

 それからしばらく経って小学5年生の頃、祖母と両親の勧めで能を習うことになりました。先生は、とても優しかったので、習うことに苦は感じませんでしたが、そうかと言って一生懸命練習するというほどでもありませんでした。

 私の人生が大きく変わったのは、昨年の高校1年生の頃です。高校生になってから、自分の将来のことについて考える機会が多くなり、そのことで悩んだ時期が長く続きました。人生は一度きりしかないのだから、皆とは違った職業で、自分の個性を発揮したいと強く思うようになったのです。今でも不思議に思うのですが、ふっと頭の中に浮かんできたのが「能」です。

 そこで、持っていた能に関わる本を読み返してみました。――面白い。詳しく学んでいくと、この動きでこんなことを表現しているのか、作品を観るたびに感動しました。一つ、「隅田川」という作品をご紹介します。

 これは、人買いに拐(かどわ)かされたわが子を探して旅をする、母親の物語です。隅田川のほとりに佇む彼女の心に、「伊勢物語」の故事が浮かびます。この隅田川で、業平は都に残してきた妻を偲び、母は子をたずねます。恋い慕う対象は違うのですが、相手を思いやる気持ちは同じなのです。あれだけ違和感を感じていた静けさも、その中に秘められた美しさを見つけるほどになりました。能面の表情から伝わってくる物語の背景を感じとることもできます。何ともいえない寂しさが、ふと心の中に現れてくることはないでしょうか。能は「型」として実現しているのです。

 「この広い世界で、日本に生まれ、能の文化に触れる機会がたくさんある高校生って、とても少ないのではないか。こんなに面白くて、学べば学ぶほど楽しい古典芸能を、もっと皆に伝えたい。私が気付いた能のすばらしさを、多くの人と共有したい」そう強く思うようになりました。

 今の私は、能を舞うことも観ることも大好きです。そして、悩んでいた将来の夢も見つけました。それは、2020年の東京五輪・パラリンピックで日本の方々だけではなく、外国から来られた方々に能を伝えることです。一人でも多くの人に伝えるために、能のお稽古はもちろん、外国語も話せるように勉強します。今、能はあまり親しみのない古典芸能かもしれません。2020年で必ず、多くの人々に興味を持っていただき、それから何年経ってもずっと忘れられない存在にします。


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