岩手県立久慈東高等学校 3年

大 久 保  公 平
 

福祉でつながる地域を目指して
 
 2016年8月30日。台風10号の上陸に伴い、一日中降り続いた豪雨は、私が住む岩手県久慈市を土砂の濁流で飲み込んでいきました。街は一夜にして泥水にまみれ、これが本当に昨日までの久慈市なのかとその悲惨な状況に目を疑いました。

 学校が再開したのは2日後です。登校途中に目にした市街地は、川の氾濫によって破壊され尽くしていました。泥まみれで異臭が漂う街並みに、私は言葉を失いました。

 登校時に見かけたおじいさんは、下校時も同じ場所の泥を掻いていました。いつもは元気な商店街の方々も、朝から晩までみんな総出で黙々と泥を掻いていました。とても胸が痛みました。「自分にできることは何かないか」と煩悶する中で、災害ボランティアがあると知りました。翌日、私は社会福祉協議会に設置された災害ボランティアセンターで活動を始めました。

 ボランティアは朝9時から夕方4時まで、一般家庭の泥掻きをするものでした。私はAさんの家の泥掻きを担当しました。ひたすら汚泥を土嚢(どのう)袋に詰めて、回収車まで運ぶ仕事でした。土嚢一袋が20キロ以上もあり、何袋か運んだだけで腰がおかしくなりそうでした。家の周りの泥を掻くのにも10人がかりで3日以上。途方もなく終わりが見えない作業が続きました。

 Aさんの家は腰の高さまで浸水したため、1階の居住空間にあった家財は全て泥まみれとなり、ほとんどが災害ゴミとなりました。東日本大震災の津波の惨状が頭をよぎりました。泥にまみれたAさんのお子さんの賞状や家族の写真を捨てるときには、思わず泣きそうになりました。

 「ありがとう。ありがとう。本当にありがとうね。」

 ボランティアを終えて、Aさんが涙ながらに手を握り、繰り返し私に伝えてくれました。「私たち家族だけじゃどうしようもなかった。助けてくれて本当にありがとうね。」

 昨日まで名前も知らなかった人の役に立つ。昨日まで名前も知らなかった人とつながる。

 身近にいる人と人のつながりに普段気づくことは難しい。私は、災害ボランティアを通して初めて人と人のつながりや絆を、その温かさを、実感することができたように思います。

 今回の災害ボランティアから、私は福祉の本当の意味を考えました。「福祉」は「普通の暮らしを幸せに」その頭文字をとってできていると、授業で学びました。しかし、今回たった一日の台風によって、毎日の幸せな生活が一瞬に崩れてしまいました。当たり前の生活が、当たり前ではなくなる恐怖は、実は本当に身近にあるものなのだと実感しました。毎日の幸せな生活が立ちいかなくなる、それは災害に限らず、事故や病気など、様々な場合が考えられます。障害を持ち、介護が必要になる事も同じなのかもしれません。

 誰もが困らずに普通に生活することが一番です。生活の支援を必要としている方も、できれば介護や支援を必要とせず、自力で生活したいでしょう。しかし、何かあった時、一人ひとりが力を出し合い、つながり、支える。普通の生活を送れるように、一生懸命支援する。「もし自分だったら」と相手の立場に立って考える。私が目指したい「福祉」はここにあったのだと、今回の災害から学びました。

 東日本大震災が発生した年、私は小学5年生でした。何が起きているか分からず、ただ怖いという気持ちだけで何もできませんでした。しかし多くの方々に支えられ高校生となった今、私がすべきことは福祉を通して地域の復興を支えていくことだと思います。誰からも頼られる介護福祉士になり、「困ったときはお互い様」ができる温かな人間関係がある地域、その土台を築いていくこと。その架け橋となることが今の私の目標です。一人の力が集まれば世界を変える、福祉にはそんな力があると信じて、これからも歩み続けます。


[閉じる]