北海道室蘭清水丘高等学校 3年

佐 々 木  鈴 音
 

大嫌いだった
 
 私の父の職業は鳶職である。父の休日は不定期で雨の日以外は日曜日も祝日も関係なく、決まった作業服に汚れた古いオンボロ車を運転して仕事に出掛ける。仕事が終わると頭の先から足先まで泥や垢で真っ黒になって帰ってくる。帰るなり、玄関先に先ず衣類を脱ぎ捨てて褌一つになって風呂に飛び込むのが日課である。

 時々だが、家に私の友達が来ていても平気で「よっ!」と上半身裸で言うのである。そんな時の父の姿は恥ずかしく、一番嫌いだった。度々、そのことについて父と言い争いをしたものだが、父は軽く謝るだけですぐにもとの木阿弥である。

 小学生の頃、休日になると近所の友達は決まって両親に連れられて買い物や食事に楽しそうに出掛けていく。私は羨ましく思いながらそれを窓からじっと見ていた。「みんな立派なお父さんがいていいな」と、寂しくて泣いたことが幾度もあった。

 中学になる頃には自分の境遇について諦めていた。たまの休みは、父は朝から焼酎を飲みながらテレビの前に座っていた。母は掃除の邪魔だと、掃除機で追っ払う。父は逆らうでもなく焼酎ビンを片手にウロウロしている。「たまには子供と遊んだら?」と、母は言うが、私は「一人の方がいい」と言って、父を軽蔑の眼差しでにらみつけてしまう。「濡れ落ち葉という言葉はあなたにピッタリね。粗大ゴミとも言うわね」と、愚痴る母に受け流して怒ろうともせずにゲラゲラ笑っている。私も母と同じで、こんな不甲斐ない父などいてもいなくても構わないと思ったりした。子供の頃から小遣いをくれるのも、買い物も、PTAの会合も、運動会も母が来てくれていたし、父が学校を覗いたことなど、ただの一度も私には記憶が無い。

 ところがある日、私は私用で札幌へ出掛けた。ふと気付くと高層ビルの建築現場に「富士建設株式会社」と父の会社の文字が書かれているのが目に入った。「これが父の働く現場か…。」私は足を止めてしばらく眺めていると、8階の最高層に近い辺りに、命綱を体に縛り、懸命に働いている父の姿を発見したのである。

 私は金縛りにあったように、その場に立ちすくんでしまった。「あの呑み助の父が、あんな危険なところで仕事をしている。一つ間違えば下は地獄だ。妻、子供に粗大ゴミとか濡れ落ち葉とか馬鹿にされながらも怒鳴りもせず、反発もせず、ヘラヘラ笑って返すあの父が…。」私は絶句して体が震えてきた。8階で働いている、米粒ほどにしか見えない父の姿が仁王のような巨像に見えてきた。私は何という不躾な心で自分の父親を見ていたのか。母は父の仕事ぶりを見たことがあるのだろうか。一度でも見ていれば濡れ落ち葉なんて言えるはずがない。不覚にも涙がポロポロと頬を伝った。体を張って、命を賭けて私を育ててくれている。何一つ文句らしきことも言わず、たった一杯の焼酎を楽しみに黙々と働く父の偉大さ。それに対して小言しか言えない母の小さな心の薄っぺらさが情けなくなってきた。どこの誰よりも男らしい父を私は今、この目でハッキリと確認し、逞しい父のこの姿を脳裏に刻んでおこう。そして素晴らしい父を尊敬し、その子供であったことを誇りに思う。

 一生懸命勉強して、一流の学校に入学し、一流の企業に就職して、日曜祭日には夫と子供と一緒に一流のレストランで食事をするのが夢だったが、今日限り、こんな夢は捨てる。これからは父の様に汗と油と泥にまみれて、自分の腕で、自分の体でぶつかっていける。そして黙して語らぬ父の生き様をみて、父のようにかっこいい大人になりたい。


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