筑紫女学園高等学校 1年

篠 原  千 穂
 

夢は女性自衛官
 
 2011年3月11日。あの日私は風邪を長引かせて学校を休んでいた。冴えない頭を抱えたまま見ていたテレビの中では、鳴り響く緊急地震速報、まるでアニメみたいに家具や建物が倒れて、崩れていく。大きな波が街を呑みこんでしまい、声にならない誰かの悲鳴や嗚咽が私の鼓膜に伝わってきた。一人見つめる先にあるのは、いとも簡単に日常が煙のように消えていく恐怖と戦慄。「東日本大震災」。私はこの日の光景を決して忘れない。

 観測史上最悪とも言われるマグニチュード9・0の大震災、未曽有の大津波によって甚大な被害を受けた東日本。自宅や車を失い、愛する人や、大切な人を亡くす人がいた。絶望で前が見えない人がいた。悲しみで痛む胸を必死で耐える人がいた。しかし、遠く離れた福岡という土地でまだ幼い小学生の私に出来ることなど、何一つ見つからなかった。

 3・11。あの日から7年という月日がたった今、高校生の私には夢がある。それは「女性自衛官」になること。幾多の自然災害に見舞われる日本という地で、自衛隊の「災害派遣」という任務は、一層重要性を増している。自衛官による救助活動や入浴支援などを、多くの人は耳にしたことがあるだろう。しかし、全自衛隊員の占める女性自衛官の割合は6パーセントと非常に少ないのが現状である。一方で被災者の方というと、男性と女性に人数の偏りはない。だからこそ、女性自衛官は被災された女性の入浴支援などで必要とされる。避難所や救難現場においては不安やストレス、緊張感の癒えない、切迫した状況下で、女性や子どもたちのより身近な存在として、サポートが出来るのではないかと考えたからだ。実際、中高で4年間を女子校で過ごして気づくのが、やはり女性には、女性ならではのパワーと団結力があるということだ。

 「女性自衛官」という道。戦後以来、「自衛官」という職業自体に安全保障や平和的観点から批判的な意見を持つ人がいるという事実は否めない。女性には厳しい訓練や過酷な任務も多くある。実際に、この道を周囲の人に反対されたこともある。だからこそ、私はたくさん、たくさん迷った。これは正しい道なのかどうかと。自問自答を繰り返し、自分自身を見つめ直した。どうありたいか。どう生きたいか。それでも、脳裏に浮かんで、消えないのは3・11。あの日の光景だった。何もできない無力のままの自分。誰の力にもなれないということがこんなにももどかしく、息苦しいものなのかと思い知った。何一つ失わず、被害を受けることもなく、日常を送り続けることに罪悪感さえも感じていた自分の存在を確かに思い出すのだ。守られてばかりで、身動きできずにいる弱い自分から、一歩踏み出したいという思いが、心の底にあることに私は初めて気がついた。だから、「女性自衛官」になると決めた。迷い、不安になることもある。確かな自信もあるとは言えない。だけど、初めて自らの意志で見つけ、たどり着いた、私の、私だけの夢なのだ。私が選ぶ道が一番正しいなんて思わない。けれど、一人でも多くの人にささやかでも希望になれたらと願う。誰にでも起こりうる自然災害だからこそ、そこで、命を落としてしまう人を救いたい。大切な人を失い傷つき悲しむ人にそっと優しく寄り添うことができる。そんな強さや優しさを持った自分に近づくことができればいい。

 「女性自衛官」という夢の実現のために、現在、私は「防衛大学校」への進学に向けて学業や部活動に汗を流す日々を送っている。運動能力も決して高いとは言えない。そして人一倍不器用であるがゆえに、高く、険しい壁にぶつかることもきっとある。けれど、それでも、夢は諦めなければ、いつか叶うと信じていたい。3・11。この日はいつだって、私に夢の決意を揺るぐことなくしめしてくれているはずだから。


[閉じる]