横浜デザイン学院高等課程 1年

高 橋  千 潤
 

夢見る力
 
 この手でいつか、世界や誰かを動かしたい。それが、今の私の夢だ。

 私は物心がついたときから絵を描くことが好きだった。保育園に通っている頃から描き始め、小学校ではいくつか賞を貰った。「注文の多い料理店」の読書感想画は区の展覧会に選ばれ、区内の小学校に展示された。その小学校に通う児童たちから感想が書かれたたくさんの手紙を貰うと、そこには「迫力があった」「おもしろかった」と書かれていて私は嬉しくなった。また、中学では人権ポスターを描くことがあった。私はその頃、学校でいじめに遭って悩んでいた。そこで、私はみんなに訴えかけようと思った。陰口や嘲笑をやめてもらいたくて。どうしたら、みんなを驚嘆させられるインパクトの強い絵が描けるか。自分の痛みを伝えられるか―。私は必死になって考えた。そして、自分の気持ちをぶつけるように描いたデザイン案は採用され、私はポスターを制作することになった。できるだけ濃い色を使い、絵に「訴える力」を持たせた。ポスターが完成し、翌日の朝学活で学級委員によってみんなの前に掲げられた。この絵を見たら、みんなはどう思うだろうか。私は周りの反応が気になった。すると、数人が小声で口々に「凄っ」と呟いているのが聞こえた。狙い通りの反応だった。そう思っていると、ある男子が「怖っ」と言った。

 一瞬、嫌な予感がした。その男子は私の陰口を言う人と一緒にいたからだ。また、気味が悪いとか、そんなことを言われるのではないかと不安になった。しかし、それ以上誰も言葉を発することはなく、緊張が解かれた。そしてようやく、上手くいったと思えた。それは一時的だったが、いじめはやんだ。

 私には夢がある。それは、自分の描く絵でたくさんの人の心を動かすこと。そして、少しでも平和に貢献すること。今はまだおぼろ気でも、いつか絶対に叶えたい。この力で―。

 勉強も運動もできない。明るく話せない。仲の良い友達もいない。奇麗な作品を作ることぐらいしか取り柄がない。自分はその程度の存在だと、悔やんでいた。こんなものが生きていて何の意味がある。いない方がよいのではないのか―。気付けば訳もなく自責の念に駆られていた。そして毎晩のように、部屋に閉じ籠っては泣き入った。当然、そこに慰めてくれる人などいない。誰でもいいから手を差しのべてほしかった。誰でもいいから気付いてほしかった。

 そう思って、絵でみんなに呼びかけた。声が出せなくても、相手にされなくても、絵なら、みんなに見てもらえる。少しでも関心をもってもらえる。

 あのときはただ、敵だとしか思っていなかった人たち。しかし、今考えてみると彼らがいなければ、私はあのポスターを描くことも、自分の力に気付くこともなかったと思う。いじめの記憶を思い出して悲しくなりそうでも、「彼らがいたから自分は力を発揮できたんだ」と考えれば耐えられる。その記憶も夢見る力に変えられる。私は夢を見ることで生きていこうと思いたい。今を大切にと思えるように。

 そして、私の仕事で少しでも、同じように悩む人の心の支えになるものを生み出したい。多くの人に夢を、生きる力を与えられる絵を描きたい。


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