山形県立置賜農業高等学校 2年

本 間  貴 大
 

むくりぶなに興味を持って
 
 私の故郷である玉庭は、耕作地のほとんどが水田です。今は田起こしや代掻きの作業が行われています。そんな中に、田植えをしない田んぼがあります。そこは稲作が行われていない耕作放棄地ですが、現在は鮒の養殖池として利用されています。玉庭地区では冬になると、むくりぶなを作っています。むくりぶなとは鮒の内臓をすべて取り出し、素揚げにして独自のタレで甘辛く仕上げたものです。「めくる」がなまって、「むくる」となり、背開きにすることから開運と結び付け、お祝い事や正月料理として利用されています。

 私は小さいころよく近所の鈴木さんの池に遊びに行っていました。鈴木さんの家では、鮒を育てており、自分の池で加工する前の鮒を飼っていました。網の中では、大量の鮒が所狭しと泳いでいます。小さいころの私は、あの甘辛いむくりぶなが大好きで、お代わりをするほど食べていました。玉庭の給食では定番のメニューであり、病み付きになる美味しさです。

 そんなむくりぶなについて興味を持ったのは、本校の先輩の課題研究発表会でむくりぶなに使用されている鮒の飼育が紹介されており、懐かしく感じたからです。私が知らなかったところまで取り上げられており、とても興味を持ちました。やはり、地元ということでむくりぶなには強い思い入れがあります。

 むくりぶなが加工品として作られるようになったのは、2002年に地域の資源を生かそうと、地元との人たちが挑戦したのが始まりだとされています。一度は諦めようとしましたが、3年間の試行錯誤の末、2005年には小鮒の養殖と「むくりぶな」の生産に着手しました。味付けなどは、鯉料理を真似て作ったそうです。初年度230キロだった生産量は、現在では750キロまで伸び、今後の目標は1tだそうです。この鮒の養殖で大事なことは水です。耕作放棄地を掘って養殖用の池を作り、生活排水や農薬が混ざらないように山から水を引き、種鮒が産んだ卵を雪が解けたところに池に放流します。5月の末に孵化し、2週間で稚魚になります。そこから餌を与えて、12月に水揚げをして加工作業が始まります。一見甘露煮のように思われますが、味や食感は全く別物です。カリカリと骨まで簡単に食べられるよう、一度パリパリになるまで焼きを入れます。その後冷凍し、油で揚げること2回、頭から尻尾までひと口で食べられるようになるのです。

 鮒の歴史は戦国時代まで遡り、上杉氏の武士が戦に持参していたものとも言われ、江戸時代には将軍家に献上されるほどの珍味だったと伝えられています。雪深い置賜地方にとっては、川魚は昔から貴重なタンパク源だったので、大切に食べられてきました。

 私は地元の特産品「むくりぶな」に誇りを持っています。むくりぶなを伝えてくれた昔の人たちに感謝したいです。そして、現在山形県内の特産品となるまで成長させてくれた地元の人たちにも感謝したいと思っています。これからも、美味しいむくりぶなを食べるために、若い人たちが協力して、生産量を上げたり、次世代まで伝えたりできるようにしていく必要があると考えています。そして、もっと有名になるように全国に発信していきたいと思います。

 食料環境科で学んでいる私は、地域資源の活用や環境保全に興味を持って学習しています。人口減少や高齢化が進む玉庭地区ですが、地元の人たちの地道な努力でむくりぶなが、「おいしい山形」にも選ばれるなど、郷土を思い出させてくれる味になっています。私たち若者がそれを絶やすわけにはいきません。私は、高校卒業後大学へ進学し、いずれは地元に戻ってきたいと考えています。そして、地域資源と環境保全を考え、この「むくりぶな」を伝えつつ、川西町の伝統や文化を守っていきたいと思います。


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