安城生活福祉高等専修学校 1年

三 浦  真 優
 

私だからこそできること
 
 私は脳梗塞の後遺症により、左手が麻痺している。生まれた時、脳梗塞だった。

 母は、私が産まれたときに、「死にたい。」と思ったそうだ。私はその話を聞いて、母がどんなに自分を責めて苦しんだのか想像をしたらとても悲しかった。だから、私はどんな時も笑顔でいようと心に決めた。

 しかし、中学へ入学し、同じクラスの男の子に「真優の手がへん」と言われ、とてもショックだった。何もかも嫌になり落ち込んでいた時に、職場体験で保育園に行った。その保育園には、私より重度の障害を持っている園児がいた。その園児は障害があるにも関わらず元気で笑顔だった。その笑顔に勇気をもらった。障害を持っている私でも、なにか人の役にたちたい。そんな仕事がないか考えはじめた。考えていく中で保育士や介護士が頭に浮かんできた。中学3年になり、進路で受験校を決める時期になった。人のために働くことができる学校を探した。その中で、先生が「安城生活福祉高等専修学校はどう?」と言ってくれたので私は受験した。私が学びたかった福祉の授業が多く、人の役に立てる仕事に近づく第一歩になった。しかし、授業の中の手話では、私の麻痺している左手を使わなくてはいけない。使いたくても左手は動かない。焦る気持ちをおさえ、昔みたいに落ち込まず一生懸命頑張ることにした。何事もネガティブにならずポジティブに考えることができるように自分を言いきかせた。

 私は福祉の勉強をしていく中で夢を見つけた。それは、介護だ。生まれてきてから家族に支えられてきた私。だから、今度は私が支えていく。

 夢を叶えるために、私は努力していることがある。

 生まれつき麻痺している左手を右手と同じように器用に動かせる練習をすること。皆にとっては、当たり前のことが私にはできない。皆が普通にしていることが私には普通ではない。顔を洗う時に両手を使う。私にはできない。だから今、左手を添える練習をしている。また、毎日柔らかいボールを握って訓練している。夜には、左手に器具をつけて寝ることもある。辛くても、日々の努力が夢につながるので毎日、やり続けている。

 こんな私が介護士になるのは無理だと言う人がいるかもしれない。私自身も簡単になれるとは思っていない。左手が使えない分人よりももっと大変になると思うので、これからは人一倍努力を続けていきたい。

 過去に脳梗塞のことで周りに傷つけられた言葉、支えられたことがある分、他の人よりも障害を持っている人の気持ちが分かると思う。私なりに理解して障害を持っている人たちの気持ちを分かって支えていきたい。

 施設にいる高齢者の中には、脳梗塞で麻痺がある方もいる。私にできることは、利用者の気持ちに寄りそうことだ。そして、私なりの介護技術を身につけて利用者に安全に安心していただける介護技術を考えていきたい。

 私の左手は与えられた運命だと思うので、プラスに考え、夢に向かって頑張っていきたい。そして、今まで育ててくれた両親に、「生んでくれてありがとう。今の私があるのは、お父さんとお母さんのおかげ。」と伝えたい。

 この左手があったからこそ、夢を見つけることができたのだから感謝していきたい。


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