山形県立置賜農業高等学校 2年

大 高  未 優
 

マイ花笠で!
 
 多くの団体が華やかな衣装を身に着け、「ヤッショーマカショ」の掛け声が夏の山形に響く。

 これは、東北四大まつりの一つ、山形花笠まつりです。花笠まつりで踊る花笠音頭は、山形県民なら誰でも一度は踊った経験があり、地域によって振付が異なり、それぞれの地域性が見られるのも、このお祭りの面白いところです。そして、この祭りに欠かせないのが祭りの名称にもなっている花笠です。山形県の花である紅花のモチーフが笠に飾られ、祭りをより華やかに彩ります。私にとってその花笠は、幼い頃からとても身近なものでした。

 私の曾祖母は、花笠を毎年作っています。笠の材料は、スゲという水辺や湿地に生える植物です。曾祖母は、以前水田だったところでスゲを栽培しています。今は家の近くで栽培していますが、それまでは家から遠く離れた場所へ刈り取りに行って、自宅まで運んで来ていました。しかし、年を重ねるうちにそれが体力的に負担となり、稲作をやめて家の近くの水田に栽培場所を移しました。

 乾燥したスゲは硬くなり、葉の縁がカッターのように鋭くなります。それを扱う曾祖母の手は切り傷だらけで、深いしわが刻まれ、とても痛々しく見えます。私は幼いながらに、花笠まつりは、ばあちゃんが切り傷の痛みに耐え、時間を掛けて花笠を作っているからできる祭りなのだと、ずっと誇らしく感じていました。

 しかし、私の自慢の曾祖母は最近、今まで以上に花笠作りが大変そうに見えます。スゲを刈り取りに家を出るときは杖をついて行き、スゲの運搬は祖父に手伝ってもらい、指や手首が思うように動かなくなったり、腰が痛くなったりと、年々負担が増していくようです。そんな曾祖母を見ているのも辛くなり、「今は花笠のうちわとか、厚紙に印刷された簡易的な花笠もあるよ。機械で花笠の大量生産もできるんでね?」と話しました。すると曾祖母は「花笠作る人が減ってきてるがらなぁ。でもな、ばあちゃん、この花笠で踊っている人を見んのが好ぎなんだ。花笠音頭の音が聞ごえでくっと、嬉しいもんなぁ。」と言うのです。その言葉を聞いて、私は、この仕事を私たち若い世代が継承できないかと思うようになりました。

 花笠作りは、地域のお年寄りが分業制で行っています。私の曾祖母は笠作り担当で、地域のおじいちゃんたちが笠の骨組み作りを担当します。最後に、紅花のモチーフを笠に付ける作業を担当する人がいて、花笠が完成します。曾祖母だけでなく、地域のお年寄りみんなの力で花笠作り、そして祭りが成り立っていることを知りました。また、笠の作り手が高齢者ばかりなので、後継者がおらず、年々作り手が減少している現状にあります。

 花笠作りの技術は、職人技だと思います。曾祖母がやっている仕事は、接着剤やテープなどを一切使わず、一本の糸だけでスゲを骨組みにくくり付けていきます。手伝いたいと思っても、簡単にできるものではありません。そして私はとても不器用なので、私一人の力ではこの花笠作りを継承していくのは不可能だと思いました。

 そこで、私はまず多くの人に花笠作りの実際や現状を知ってもらおうと考えました。そのためには、花笠作りの体験や見学ができる場所を作る必要があります。さらに、地域おこし協力隊のみなさんの力を借りて、地域住民を巻き込んで笠作りを継承できないかと考えます。そして、その様子をインスタグラムや花笠まつりホームページなどに掲載すれば、世界中に拡散できると思います。近い将来、全国各地、世界各国の人たちが花笠作りを体験したり仕事にしたりして、マイ花笠でまつりに参加することが普通になる日がくるのではないでしょうか。

 今年も花笠まつりの時期がやってきます。そのまつりをこれからも支えるために、私もこの夢を実現できるように頑張ります。


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