沖縄県立八重山農林高等学校 1年

與 那 覇  朱 里
 

農家に生まれて気づいたこと
 
 私の家は、畜産業を営む農家です。父と祖父を中心に、年中無休で牛の世話をしています。私も小さい頃から父を手伝ってきました。餌やり、牛舎の掃除、ブラッシングなど、大きな牛たちに圧倒される時もありますが可愛いです。特に子牛は可愛くてたまりません。しかも生まれたばかりだと、近づいても逃げないので、更に触りやすいです。やわらかい毛並みに、つぶらな瞳。ミルクを飲む時の一生懸命な様子は、何時間見ていても飽きることはありません。

 でも、こんなに可愛い子牛の生まれる瞬間というのは、すごく怖いものです。私が牛の出産を初めて見たのは、小学校3年生の頃でした。「牛が産まれるよ!」と祖父から電話があり、急いで見に行くと、ちょうど母牛の体内から離れるところでした。その瞬間は、言葉に出来ないほどすごくて、小学3年生の私にとって、怖いというよりも、気持ち悪いというのが正直な感想でした。その後、牛の出産を見る機会は何度かあったものの、すべて避けてきました。普段はおとなしい母牛が息を荒げ、目を血走らせて鳴き叫んでいる姿と、血まみれで生まれ落ちる赤黒い子牛は恐怖そのものでした。

 しかし、中学校2年生の頃、たまたま母と牛小屋に行った時、再び牛の出産を目にすることになりました。その時なぜか私は、あれだけ避けてきた牛の出産を、その場から逃げ出さずに見ていたのです。あの時は恐怖と嫌悪感しかなかったのに、命が生まれ出る瞬間に心から感動している私がそこにいました。自分でも驚くほど、命の誕生ということを実感する機会となりました。

 こうして生まれた子牛たちは、数か月後にセリ市場へ売りに出されます。雌牛は約40万円〜50万円、雄牛は約50万円〜60万円で出荷されます。このお金で、私達は生活しています。こういう話をすると、牛がかわいそうだと言われたり、敬遠されてしまいますが、生まれてきた子牛たちはペットではなく生活源、つまり経済動物なのです。小さな牛たちが立派に成長し、そして高く売れるよう、父と祖父が手塩にかけて牛を育ててくれます。高く売れるとすごく嬉しいし、牛たちのエサ代などもそこから出ます。名前を付けて育ててきた牛を売ってしまうのは、かわいそうだと思うこともありますが、牛農家にとっては仕方のないことです。牛がいるからこそ、私達家族は生きられるのです。

 私は、農家に生まれて、ひとつの命が次の命を育む大切なものだということを知っています。しかし、私たち家族は、売られていった牛たちがちゃんと食料となって、その全てが食べられているかはわかりません。世界の中でも、日本の食料廃棄率の高さと、それに反比例する食糧自給率の低さは問題視されています。動植物たちが私たち人間のために命を捧げてくれているのに、それを十分に活かさず捨ててしまうなんて、とても心苦しいことです。

 どうにかして廃棄率を低くしたいと思っている私は、将来、人々に食材を美味しく食べてもらう料理人になりたいのです。調理することに興味もあり、その夢を実現するため、私は八重山農林高校ライフスキル科へ進学しました。ライフスキル科では、直接動物と触れ合う機会は少ないですが、屠殺実習や栽培実習を通して、命を育み奪うことの意味を知り、調理実習を通して、命を美味しく頂き、人に提供するための技術を学ぶことができます。今はまだ、農場で育てた野菜や卵を生産物として販売するだけですが、後で「ありがとう。美味しかったよ。」と声をかけられるととても嬉しいのです。料理人になって、実際に料理を食べてもらったら、もっと嬉しいと思います。

 食事の前のあいさつである「いただきます」の言葉通り、最後までありがたくいただき、棄てられる命を少しでも減らしていくのが私の目標です。愛情をかけて育てた命が、次の命を育む役目をきちんとできるように。命のバトンを次へ渡すことが出来るように。


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