宮城県加美農業高等学校 3年

鹿 野    修
 

命をつなぐ業
 
 雪が降りしきる1月の色麻町。牛舎の外は氷点下。翌朝の除雪作業に備え泊まり込んでいた牧場で招集がかかったのは、夜の11時を過ぎた頃でした。生まれた時からずっと育ててきた雌牛の“ゴマ”。あの小さかったゴマがついに子を産みます。白い息とともに吐き出される苦しそうな声。陣痛の痛みと戦うゴマ。「負けるなゴマ!」なかなか出てくることのできない子牛は、息ができず危険な状態です。2頭の命を考え、子牛の足にベルトを巻きつけ「いくよ!1、2の3!」「それ、がんばれ!」その瞬間、ついに私たちの前に現れた子牛!「やった!生まれた!」産んだゴマも3年前、こうして生まれました。

 命をかけて子を産んだゴマは、その後も毎日たくさんの牛乳を私たちに恵んでくれました。そして半年前、家畜としての生涯を終えました。牛は、経済動物としてこの世に生を受けます。つまり、私たちの食になるために生まれるのです。今、多くの牛たちは本来の寿命を全うすることができず、10年以内にその命を終えてしまいます。十分な牛乳を搾れなくなったらお役御免で出荷されてしまうからです。一方で私たちの平均寿命は年々伸び、日本は世界有数の長寿国となりました。私たちが元気に長く生きるために、経済動物は命を削っているのです。私たちの命は、このような尊い命によって支えられているのです。

 私は農業自営者を育成する加美農業高校に入学し、半年間の寮生活を送りました。そこで目の当たりにしたのは、毎日食後に並ぶバケツいっぱいの食べ残し。食べ物を生産する苦労を知り、食と命のつながりを学んでいる農業高校生なのにと、許せない気持ちになりました。食の背景には命の犠牲があるということを多くの人は感じていません。これが、今の日本の現状です。農業の担い手が少ない今、食を支える命の営みを肌で感じている私たち農家には、「使命」があるのではないか。私の目指すべき道が、寮でのこの体験から見えてきました。

 農業とは、温かい命のつながりや食のありがたみを肌で感じながら働き、幸せを感じることができる仕事です。私は今、削蹄師(さくていし)の弟子として修行しています。私の師匠である伊藤さんは、地元で唯一の乳牛の削蹄師です。大きな牛にとって体を支える蹄の手入れは、牛が健康に生きるために必要不可欠。削蹄師は、牛の命をつなぎ、人間に豊かな食をもたらす仕事なのです。月に2度ほど、伊藤さんと一緒に様々な農家を削蹄してまわっています。ある日伊藤さんが言いました。「修がいるから、俺はこの仕事ができる。」この伊藤さんの言葉には、弟子である私への後継者としての期待だけではなく、削蹄師という仕事を絶やしてはいけないという責任感や、食を生む農業の未来を守っていきたいという強い思いも込められているのだと感じました。「これからも頼むな」と、行く先々で声をかけられます。農業の現場に身を置くと、若い力が必要であることを強く感じます。

 私の夢は、牛飼いとして大きな牧場を経営することです。小さな頃から農家のつながりの中で育ち、たくさんの人に農業を教えてもらいました。後継者がいないために牛を飼えなくなった農家さんからは牛を預かり受け、恩返しをしていきたいと思っています。そしてゆくゆくは牧場の規模を拡大し、地域だけでなく日本中の人たちに、命の大切さや食のありがたみを伝えていく活動をしていきたい。それが、食と命のつながりを強く感じ、食べ物に感謝し、命を大切にする幸せな社会を作っていく手助けになると信じて。

 早朝4:00起床。自宅の農作業を終え、5:00には知り合いの牧場へ。学校から帰った後も、近所の牧場に手伝いに出かける毎日。高校生らしい青春を謳歌している友人をうらやましいと思ったことは、私は一度もありません。私が歩んでいく道は、たくさんの人を幸せにする、命をつなぐ業なのだから。


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