開成高等学校 2年

谷 澤  文 礼
 

脳に魅せられて
 
 僕は、脳科学者になる。脳科学を極め、人類に残された最大の未知の分野である脳の謎を紐解き、生物学的見地から科学的に精神の治療法を確立して、画期的なメンタルヘルスサービスを生み出し、全人類の幸福のために貢献したい。

 中学校に入学した四年前、僕の世界は一変した。容赦のない速度の授業、配布される膨大な量のプリント。鬼ごっこで駆け回り、テレビで大笑いするだけだった小学校から一転、勉強中心の生活に、僕は圧倒された。

 全てにおいて自分より秀でた奴がいて、周りがみんな僕より優秀に見えた。すぐに、ついて行けなくなり、自信をなくした。朝起きられなくなり、学校に行けなくなった。先が見えず、ただただ辛かった。

 毎朝登校しようとは思うものの、置いていかれた勉強のことを考えると、支度する勇気は起きず、布団から出られなかった。

 同級生にSNSで馬鹿にされ嘲笑われ、今更登校することなど出来るはずもなく、どこにも逃げ場はなくなった。何も考えたくなくて、アニメやゲームに逃げた。

 夜な夜な眠れず、涙を流し、自殺を考える日々。この地獄からなんとかして脱したかった。

 半年が経った頃、ついに僕は、近くの精神科でカウンセリングを受ける決意をした。

 そして、双極性障害だと診断された。

 双極性障害とは、気分障害の一種で、うつ状態に加え、それとは対極の躁状態も現れ、これらをくりかえす、慢性の病気だ。

 一日たった半錠の薬と、月一回のカウンセリングで、文字通り救われた。僕をベッドに縛り付けていた、あの得体の知れない重さもなくなり、まるで魔法のようだった。

 それから僕は、我武者羅に勉強を始め、「努力の鬼」と呼ばれるようになり、中学三年では学年一位をとり、高校では学級委員を務め、毎日楽しく学校に通っている。

 あの時、立ち直っていなかったなら、今頃どうなっていただろうか。

 精神の不調は人生を左右する。精神の健康を失うことの恐ろしさを痛感した。それから僕は、精神に関する本を読み漁るようになった。

 世界のうつ病患者数は3億人を上回り、年間約80万人が自殺している。高齢者の間でのうつ病は、特に深刻で、世界でもいち早く超高齢化社会にさしかかった日本では、自殺に繋がり得るうつ病への対策がますます必要になると指摘されている。

 しかし、精神の健康に対する認知はまだまだ甘い。科学技術の進展により飛躍的に克服されてきている身体的健康の課題に比べ、精神的健康の分野には、これからも取り組むべき課題が山積している。

 僕が目指す精神に関する学問は、分野横断の柔軟な研究が必要にも関わらず、心理学と脳神経科学とに分けられ、未だ、心理学は文系の学問として認識されており、脳神経科学に関しても医学と理工学に分かれたアプローチがなされている。

 さらに、学術的な課題だけではない。精神的な疾患に対する偏見は根強く、場合によっては差別といっても過言でないほどの扱いを受けている。

 近年、様々な新技術によって徐々に脳の神秘が解き明かされてきた。これまで、身体と心は別物であり、心は自ら鍛錬し、コントロールすべきものとの考え方が一般的だったが、最先端の研究によって、精神的な疾患は脳内のカルシウムやミトコンドリアの働き等の生物学的な要因によるものだと分かってきた。メンタルな問題に悩む者は、心が弱く鍛え方が足りないのだとの偏見を持たれがちだが、この認識はやがて一新できるはずなのだ。

 シンギュラリティの到来によって、指数関数的に発展を続ける科学の力は、人間の生活を一変させるだろう。脳科学も飛躍的に進歩するはずだ。

 脳は美しく、そして未知だ。僕は脳に魅了されている。急速な科学技術の進化に怯まず、この大変化の時代を楽しみながら、あらゆる分野に挑戦し、全学問の叡智としての脳科学を極めてみたい。そして、いつの日か、全人類が幸せを感じられる世界を作り上げてみせる。


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