安城生活福祉高等専修学校 2年

安 田  亜 弥
 

心と食
 
 「食べる事が怖い。」と感じた中学3年生の夏。私は拒食症になった。

 心も体も限界を感じていた時、主治医となる先生に出会った。その先生こそ私の理想とする職業人だ。

 私にはコンプレックスがあった。それは、自分の体形。小学生の頃は食べる事が大好きで同級生の子達よりもふっくらしていた。周りとは違う見た目からか、色々な人にからかわれて、私は自信をなくしていた。

 中学校に進学して、自分嫌いは更に拍車がかかった。元々運動も勉強も苦手な私はついていくことができず、周りとの温度差を感じ始めた。学校の同級生や家族からの言葉一つひとつに過敏に反応しすぎてよくショックを受けていた。それが原因だったのだろう。食べようとしても胃が食べ物を受けつけなくなり、体重は減少していった。すると、友人や周囲の人達からよく言葉をかけられるようになり、私は自分を認めてくれたように感じて嬉しかった。それと同時に失っていた自信を取り戻せた気がした。痩せることは私の生き甲斐になっていた。好きだったはずの「食べる」という行為が嫌いになっていた。もずく1パックが朝昼晩、3食私の前に毎日毎日並んだ。それでも私は体重を増やしてしまう事が怖かった。3食は1食に減り、私は食べ物を口にしない日が増えた。

 そんな状態が半年以上続いた。生理が止まり、体重が激減して骨が浮き出ている体。まるでミイラになってしまったのを見た母と父は心配して強引に私を病院に連れて行った。診察の最初から、主治医となる先生の言葉はとても厳しいもので、怖いという印象だけが残った。初めての精神科はとても居心地が悪く、とにかく早く帰りたいと思った。1週間に一度の通院が怖かった。体重は減っていくばかりで、細いと分かっていても食べる事に恐怖を感じ、自信を得ることができた体を自ら手放す行為に私は罪悪感を覚えた。どんどんストレスがたまっていき、ついに先生にあたった。これでもかというくらいわめきちらした私に先生は「信じてるよ。」と言ってくれた。怖いと思っていた先生の心情は優しさで満ちていた。最初から先生は私を信頼していたのだ。厳しく怒ってくれたのは優しさだった。一緒に頑張ってくれていた人がいるなんて私は幸せ者だと気づいた。周りの人の気持ちを考えることが大切だと気づかせてくれた。これは先生のおかげである。

 今、全国で摂食障害を患っている人は年々増えている。国から難病指定もされている。それなのに世間の理解は足りていない。摂食障害という病気をもっと知ってほしいと感じる。一方で摂食障害の当事者は自分では助けを求めない。そんな状況を変えるために、私はフードデザイナーになりたい。直接的な治療という形で表に出ることはないが、患者さんが信頼できる人に出会う場を作りたい。食を通じてこの病気のことを理解し、患者さんに寄り添って治療法を見つける。これが私の理想とする職業人だ。

 治療を受ける過程で、食べる事の大切さや食生活の重要さを身をもって感じた。私は病気を通して、「食」と心と体の関係に強く関心を持つようになった。だからこそ今通っている学校でもっと食について学び、ずっと支えてもらった分、今度は私が他の人を支えたいと思った。もう一度、生きる力を与えてくれた。この事に感謝し、私は私なりに自分の力を信じて社会に役立てたいと思った。過去の私からは考えられないほど大きな夢を見つけ出す事ができた。周りの評価よりも自分が信頼できる人が一人いれば幸せだと気づけた。今なら胸をはって言える。私は幸せ者だ、と。


[閉じる]