麗澤高等学校 1年

稲 田  咲 耶
 

子どもたちの一歩のために
 
 「もしも人生が酸っぱいレモンをくれるなら、それで甘いレモネードを作ればいいのよ」

 これはアメリカの女の子、アレックスの言葉だ。アメリカでは子どもたちがお小遣いを稼ぐ手段としてレモネードスタンドが定着している。アレックスは小児がんを抱えながら、自分と同じような子どもたちを助けるためにレモネードスタンドを開き、集まったお金を小児がん治療研究の支援金にあてた。この取り組みは全米に広まり、日本でも小児がん支援のためのレモネードスタンドの普及活動が進められている。彼女は8歳で亡くなってしまったが、レモネードスタンドを通して今も世界のどこかの子どもを救っている。

 私はこの話を中学1年生のとき、英語の授業で知った。幼い頃から医師に憧れていた私は、自ずと医療に関する話題や情報に興味を持ち、医学書を読み漁り、今ではいっぱしの医学オタクになった。子どもの心臓移植の募金活動に関わったこともある。それをきっかけに小児医療の現状を調べ、やがて尊敬する医師に出会ったことから、肝臓移植を専門とする小児移植外科医になりたいと考えるようになった。

 そんな私にとってアレックスの話は強く心に響いた。自分でもぜひレモネードスタンドをやってみたいと思った。しかし何もない子どもの私に何ができるだろうか。行動に移せないまま2年が過ぎたが、この間、学校行事やクラス活動を通して、声を上げる勇気を培ったと思う。そして中学3年の夏、思いきって英語の先生に提案したところ、検討していただき、学校で開催することになった。

 開催日は学校に多くの人が集まる創立記念行事の日。食堂の一角でレモネードを販売して寄付金を募る。時間が限られるなか、普及協会との交渉、ポスターやパンフレットの制作、ボランティアの募集と、やることは数えきれないほどあったが、クラスメートをはじめ多くの仲間の協力によって開催にこぎつけた。当日はたくさんの人がレモネードを買って下さり、目標以上の金額を集めることができた。注文を必死でさばこうとする私たちに、多くのお客さんが「がんばってね」と温かい言葉をかけてくれたことが忘れられない。当初は一度限りと思っていたが、この日の成功と、開催を通して私たちが学んだことも大きかったことから先生方に認められ、その後も機会があるごとに開くようになった。

 私たちはまだ高校生だ。発言力も影響力も、もちろんお金もほとんどない。それでも声を上げ、多くの人の力を借りれば、人の役に立つことができる。この経験によって私は、子どもでも、どんな境遇にあっても、アレックスのように自分の人生を自分で切り開く力を持っていると感じた。

 今の私の夢は、すべての子どもが自らの力で人生を切り開けるようサポートすることだ。その一つの手段が医療である。子どもたちがどんな夢を持つにしても、まず健康であることが望ましい。なかでも私のめざす移植医療は、いのちを救う最後の砦と言われている。手術後は一生薬を飲み続けなければならないが、逆に見れば、ずっと患者さんの成長を見守っていける仕事だ。

 小児外科医は不足しており、また日本の移植医療は遅れているなど課題も多い。そもそも医師になるのは簡単ではなく、最近では医学部受験に男女格差があることも明らかになった。

 私自身は、レモネードスタンドをきっかけに、献血ボランティアや被災地訪問など、さらにさまざまな活動に自主的に参加するようになった。視野が広がり、子どものためにできる仕事や活動はたくさんあると理解を深めている。だが今は、最も好きな医療に医師として関われると信じて、勉強にボランティア活動に精一杯打ち込み、めざす道を切り開く力を養いたい。そしてアレックスのようにたくさんの子どもたちの助けになりたい。

 すべての子どもが酸っぱいレモンを、甘いレモネードに変えられるように。


[閉じる]