山形県立置賜農業高等学校 3年

湯 野 川  祐 希
 

T君へのメッセージ
 
 「T君へ。僕はあの時のメッセージを今でも大切に持っています。あのメッセージがなければ、僕は立ち直れませんでした。本当にありがとう。」

 2011年3月11日。三陸沖の太平洋を震源として、マグニチュード9.0という大地震が東日本を襲った。当時の私は、福島市の立子山という地区の小学校に通っていた。子供心にも今まで経験したことのない揺れと、毎日、テレビに映し出される映像を見て、これはただ事ではないな、とは感じていた。しかし、その地震が自分にどう降りかかるかまでは想像できなかった。

 古かった私の家は地震に耐えきれず、壁に多くのひびが入った。当時放射能の危険もあり、隣の県であった山形県の米沢市に移り住むことになった。

 「転校生」。自分がそう呼ばれる存在になるとは思わなかった。受け入れるほうは楽しみかもしれない。しかし転校する側である私には、恐怖でしかなかった。知らない土地、知らない学校、知らないクラスメート。当時小学4年生だった私は、不安でいっぱいだった。そしてそのうちに耐えきれなくなり、学校に足が向かなくなった。私は家に引きこもるようになっていった。

 そんな私を家族は心配して、そしてある日、学校から手紙が来た。それは私を励ます手紙だった。

 「Yくん、大丈夫?」

 「辛いことがあったら、何でも言ってね。」

 「学校は楽しいよ。」

 なぜ僕だけがこんな思いをしなければならないのか。お前たちに何が分かるんだ。その時の私には、友達の言葉は表面的な言葉にしか映らなかった。どうせ自分の気持ちなんて誰にも分からない、そう思って手紙をしまおうとした瞬間、手紙の端に小さく何か書かれている文字が目に入った。

 「苦しみを乗り越えろ。」

 胸にずしんと何かが落ちた。これは単なる慰めの言葉じゃない。そうだ、いま僕は苦しいんだ。それは乗り越えなければならないものなんだ。このメッセージを書いてくれたクラスメートは、今の自分のことを分かってくれている。そしてそれはT君からのメッセージだった。

 T君は、クラスの中でいわゆる一匹狼だった。もちろん、私と話をしたことはない。しかし、だからこそこの時の私の心に響いたのかもしれない。その手紙から数日後、ランドセルを背負い、私は学校に向かった。

 あれから8年がたった。私はそのまま山形の高校に通い、農業クラブの会長として毎日忙しい日々を送っている。そして福島に住むT君とは今でも連絡を取り合う仲だ。高校生活や、将来の夢を話すこともある。T君は政治家、そして私は高校の先生。学校に通うのが嫌になった私が、まさか学校の先生という夢を持つなんて、自分自身も信じられない。そして夢は違うが、お互いの夢を応援している。もしあの時、T君のメッセージがなかったら、私はこんな高校生活を送ることはなかったかもしれない。今の私からのT君へのメッセージは感謝の言葉だ。

 「あの時は本当にありがとう。」


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