安城生活福祉高等専修学校 2年

岡 田  小 菜 津
 

叶えたい夢
 
 私には、叶えたい夢が2つあります。1つは保育士になること、もう1つは保育士になって聴覚や視覚に障がいを持っている子たちのための保育園を建てることです。

 私の幼稚園の先生はとても優しく、将来は自分もこんな優しい先生になりたいと思い、保育士を目指すようになりました。「保育園の先生になりたい。」と言った卒園式で先生は、「保育園の先生になるには人とたくさん話せるようにしなくてはいけない。」と教えてくださいました。

 引っ込み思案で声も小さかった私は、小学校に入学してもともと苦手だったコミュニケーションを上手にとれるようにたくさんの人と関わるようにしました。苦手だったことを無理に続けたことで自分では分からないストレスをため込んでいました。

 小学3年生の夏、私は突発性難聴になり、約3ヶ月間音のない世界を過ごしました。3ヶ月間、周りの人に助けてもらいながらの生活を送ったので、また耳が聞こえるようになったとき、次は自分が周りの人を助けられるようになろうと、手話の勉強をはじめました。

 音がない生活をしたことで障がいがある大変さを知り、視覚に障がいがある人の助けにもなりたいと点字の勉強もはじめました。

 手話や点字の勉強はどんなことをしたらいいか分からず、本を読んだり、ネットで調べるだけでなかなか覚えられませんでした。しかし、手話の勉強をしていたときに出会った聴覚に障がいを持った子と自分なりに勉強していた手話で簡単な会話ができました。その日から手話や点字を実践するようにしました。

 小学4年生から中学3年生までの約6年間で、友だちと日常会話くらいの簡単な手話ができるようになりました。点字も簡単な手紙を読めるようになりました。話す以外のコミュニケーションがとれるようになったことで、視聴覚に障がいを持っている子たちの保育園を建てたいと思うようになりました。今よりも少しでも障がいがある人への理解を深めていきたいです。

 私だけが理解を深めるのではなく、自分の周りの人たちも理解を深めてもらえるようにしたいと思います。

 視聴覚に障がいを持っている子たちのための保育園を建てることも、周りの理解を深めることも私一人の力では出来ません。そのために周りの人に協力してもらえるような人間になりたいと思います。

 海外では、「障がいを持っている人たちは前世で欠点がなかったから神様が試練を与えた。」と考えている方も多いと聞きました。日本も同じようになってほしいです。

 私は障がいのある人もない人も普通に過ごせる世の中になってほしいです。今は、障がいのある人の意見が世に出ないことがあります。今後は全員の意見を発信できるようにもしていきたいと思います。

 私の将来の夢は大きすぎて、現実味がないかもしれませんが、自分なりに頑張って夢を叶えていきたいと思います。


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