国際共立学園高等専修学校 1年

本 橋  沙 笑
 

『誰もができるメイク、誰がしてもいいメイク』
で多様性社会の実現へ

 
 私の夢は「誰もができるメイク、誰がしてもいいメイク」を発信していくことです。

 現在の世界では「男性がメイクをしたら変」などという男女差別や、ジェンダー問題などに偏見的な考えを持っている人が多いと思います。

 しかし、メイクは老若男女誰がしても良いものです。そして自分の姿が見えずに感覚でメイクをしている人もいます。この様に私達の周りには色々な人がいて、それぞれの個性が素晴らしいということを美容の仕事に就いて伝えたいのです。そして、メイクという数少ない共通するものを使って、国境を越え、世界の人達が分かり合えるようにしたいのです。

 私は15歳ですが、小さい頃から「女の子なんだから」「女の子なのに」という言葉を言われてきました。ままごとや、人形あそびなど女の子らしい遊びをして育ちました。服も文房具も選ぶ基準はいつも「かわいい」です。少し活発な女の子がいると、批判している親がいました。同じように、男子が「男の子なんだから」「男の子なのに」と言われている場面もよく見聞きしてきました。それに対し私は、そこまで疑いを持つこともなく、窮屈に感じることもなく過ごしてきました。

 こんな私にある出来事が起こりました。友人と遊んでいる時、メイクをしている男性が通りかかりました。それを見て友人が「男なのにおかしい」「なんだか気持ち悪い」と言ったのです。その時私も言葉にしないものの「男なのになんで?」と思いました。その男性は少し人目を気にするように、うつむいて歩いていってしまいました。

 数日後、今度は目が不自由な知人と会う機会がありました。その知人は「目が見えないから感覚でメイクをしているの」と言いました。私はこの時「目が見えないのにメイク?感覚でする?」とびっくりしました。後日、この2つの出来事を通して、私は私の中の差別に気づきました。

 私たちはいつの間にか「男らしく」「女らしく」と刷り込まれて育ってきました。さらに、人種や肌の色、障害の有無もそうです。これらのことをなくそうと多くの人が取り組んできたものの、日本はもちろん、世界中にまだ差別や偏見がはびこっています。

 世界には数えきれない人がいて、同じ数だけの考え方もあります。それに優劣はなく、お互いを尊重しなければならないと分かっていてもとても難しいのが現実です。そして私もその一人なのです。

 私はもしかしたらその解決に、メイクが一つの可能性を持っているのではないかと思いはじめました。「女性が美しくなるためにするものがメイク」という誰もが当たり前に思っていることだからこそ、差別や偏見を取り除くのに分かりやすいと思ったのです。

 確かに、メイクは女性をより美しく輝かせるものであり、社会人としてのマナーでもあります。しかし一方で個人の表現でもあります。その人の個性や考えを表す手段でもあるのです。文化、習慣、言葉も国境さえ越えるメイク。誰もがメイクを通して自己表現できる社会、多様性を認め合える社会、みんなが笑顔いっぱいになれる社会。いつの日かそんな社会の実現を、私はメイクでしてみたいと考えています。


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