山口県立熊毛南高等学校 1年

徳 永  愛 央
 

失敗を恐れずに自分らしく
 
 「みなさん、こんにちは。私の名前は、徳永愛央です!」

 初めて会う人に挨拶をする時、ほとんどの人が私の右耳、そして左耳に目がいきます。悪気があるわけではありません。私の補聴器と人工内耳に気が付くのです。私は生まれつき難聴です。原因は、今でも分からないそうです。この補聴器と人工内耳を外すと、無音…私の世界から音はなくなります。

 私の将来の夢は、介護福祉士になることです。中学2年生の時に職場体験で老人ホームを訪れました。様々な支援が必要なお年寄りが入所している施設です。介護福祉士の方は、お一人お一人に寄り添い、必要な支援をしながらも過度な手助けはしない。しかも、常に周りに気を配っている人でした。だから、お年寄りたちは自分がやりたいことを支えてもらいながら自分でできることの喜びを感じて笑顔でいらっしゃいました。その時、私は今まで自分がどれだけ周りの人に支えられていたのか、改めて実感したのです。自分が努力することはもちろんですが、その環境にいられるのは、当たり前のことではなく、私のことを理解し、そっと助けてくれている人がいるからこそなのです。その介護福祉士の方は、「大変なこともあるけれど、たくさんの人と関われ、毎日の変化が楽しい。」とおっしゃっていました。私もこう言える人になりたい。今、私が周りの人にしてもらっている事を、将来の仕事にしてたくさんの人を笑顔にしたいと強く思いました。

 私は、2歳の時、岡山大学病院で人工内耳の手術をしました。初めて音のある世界に導かれた私は、とても驚いて泣き出したそうです。しかし、音を手に入れたことで、私の世界は広がりました。小学校、中学校は、友達と一緒の学校に通いました。病院の言語聴覚士の先生、学校の先生、たくさんの人に支援していただきました。そのおかげで、中学校では体育祭の応援団、文化祭の実行委員、色々なことにチャレンジしました。どうしたらみんなにとって最高の思い出になるのか、一生懸命考えて取り組みました。行事を終えた後の達成感は、今でも忘れられません。特別扱いしないでほしい。困っている時だけ、少し手助けしてやってほしい。両親が学校にお願いしたことだそうです。その中で友達は、さりげなく、かつ必要な時は必ず助けてくれました。水泳や音楽の授業、また、みんなでのおしゃべりタイム。私が聞き取れない時は、手で合図してくれたり、隣で大きな声でゆっくり話してくれたりします。進学などで新しい環境に飛び込む度、少し不安になりますが、私はいつも周囲の人々に恵まれています。今、私はみんなと同じように列車で高校に通い、バレーボール部のマネージャーとして部活動をし、毎日楽しく充実しています。

 この世の中には、私の難聴のような障害に限らず、色々な手助けが必要な人がたくさんいます。そのような人たちに、優しい世界であってほしいのです。そのためには、手助けが必要な人自身も感謝の気持ちを忘れず、様々なことにチャレンジすることが大事だと思っています。どんな小さな事でも良いのです。私は、音程を把握することが苦手で、とっても音痴ですが、音楽の授業は誰よりも大きな声で歌います。それも、ひとつのチャレンジです。「あ!こんなことも私にできるんだ!と嬉しくなるときがあります。その気持ちは、挑戦しないと手に入れることができません。みなさん、失敗を恐れずに、一緒に前向きに頑張りましょう。昨日より、今日を輝かせるために、今日よりも明日の自分が輝いているように。自分の目標に向かって、日々の努力と、小さなチャレンジを積み重ねていきましょう。

 私が理想とする職業人とは自分自身もチャレンジ精神を持ち、チャレンジする人を応援できる人です。


[閉じる]