静岡市立清水桜が丘高等学校 3年

堀    敦 喜
 

夢への道
 
 私の夢、それはJRAで自分の厩舎を持つことだ。GTを何回も勝てる馬でなくていい。とにかくファンに愛され、応援される厩舎だ。そして、少しでも多くの人の記憶に残る馬を。

 私は小さい頃、スポーツ観戦が好きで、よく足を運んでいた。小学校の頃はソフトボール、中学校の頃は野球に打ち込んでいた。小学6年生、試合後の帰りの車でのことだ。適当にテレビをつけたら、競馬中継が流れていたのが始まりだった。

 「これってどうやって見るの」

 ふと何気ない一言から始まった。両親に教えてもらいながら、ぼんやりと眺めていた。10頭近くのサラブレッドが駆け抜ける蹄音、騎手間での駆け引き、私は徐々に競馬の世界にのめりこんでいき、いつの日か時間があれば、毎週のように見るようになった。

 私は時がたつにつれ競馬関係の仕事を意識するようになった。中学3年生の秋、私は衝撃を受けた。ある一頭の馬が次から次へと競馬界の歴史に名を刻んでいくのを目の当たりにした。牝馬三冠を成し遂げたとき、私は東京競馬場にいた。牝馬三冠の三冠目のレース自体は京都で行われていたが、東京競馬場にも多くの観客が集まった。単勝人気1倍台、圧倒的な支持を得ていた。レースはよどみない流れで進んでいく。3コーナーを過ぎてだいぶ後方に位置していた。

 「もう無理かな」

 私は残念に思いつつ、ざわつきだす観客とともにじっとレースを見守っていた。無我夢中で見ていると、あっという間に最後の直線に差し掛かった。どの馬も徐々にギアが上がっていく。積まれているエンジンが違うかのように1頭だけ脚色が違った。先頭に躍り出る勢いだ。残り50メートル、ついにその時がきた。割れんばかりの大歓声が起こった。先頭でゴールを駆け抜けたのだった。私は鳥肌が立った。こんなにも多くの人を一瞬にして感動の渦に巻き込んだことに。この馬は次のレースでも日本だけでなく、世界の競馬界に影響を与えたのだ。世界レコードを出したのであった。この2つのレースこそが私の夢を後押しした。競馬というスポーツしか与えることができない何かを知って。

 高校生になり、私は乗馬クラブに通うようになった。私は6月に東京競馬場で行われるイベントに参加した。牧場就業者の方と話す機会を頂いた。多くの方と話している中で、多くのアドバイスをもらった。ある方から「夏休み、うちに来ればいいじゃん」と言って頂き、私はその言葉通り牧場に行かせてもらった。

 5日間の経験だった。この5日間で、言葉では表せない多くのことを知ることができた。朝も早く、辛く感じることもあった。しかし、この馬たちが活躍して、多くの人を喜ばせる姿を想像すると、この短い期間でも楽しみでしょうがなかった。この経験を得てから、私は、積極的に牧場に行かせてもらった。行ったことのある牧場の馬が活躍する度に、心の底で喜びを感じた。

 私は、何気ない日々から夢を持つことができた。私自身がもらったものを多くの人に与えたい。そして、競馬というスポーツの面白さを多くの人に知ってもらいたいと。


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