学習院女子高等科 1年

越 川  結 生
 

心に寄り添うために
 
 高校1年生の初めての面談で、先生から将来何になりたいかを聞かれました。将来どんな仕事に就きたいか、今まで漠然と考えていた事が、現実味を帯びてきて、私は先生の質問にどう答えたらいいか迷いながらも、はっきり口に出した言葉がありました。

 「手話が出来る医師になりたいです。」

 とうとう公言してしまった、と思いましたが、後悔はしませんでした。むしろ、もやもやした気持ちがすっきりして、吹っ切れたようにも思いました。自分の気持ちに正直に、難しいのは分かっていますが、医師を目指してみようと心に決めました。

 私は、小学4年生の夏に手話と出会いました。友人のお母さんが手話の通訳士をされていて、夏休みに手話のボランティアの活動に誘われて参加したのがきっかけでした。ろうあ者や中途失聴難聴者の方々や手話ボランティアの方々が、手話の基本を丁寧に教えて下さり、たった数時間で、自分の名前や住所、趣味などの手話を覚えることが出来ました。そして、最後に皆さんの前で、手話で自己紹介をした時、私の手話に頷き、微笑みながら見て、最後に手話で拍手をしていただいた時は、耳の聞こえない難聴者の方たちに自分の手話が通じたことがとても嬉しくて、「私、手話を学びたい!」と強く思ったことを覚えています。また、その時、父の病院にろうあ者の方が入院されていて、私と手話で会話をしていただける機会がありました。私の覚えたての手話を一生懸命に見て、「手話、頑張ってね。」と最後に励ましのお言葉をいただき、私も「お大事にしてください。」と手話で返すことが出来ました。手話で患者さんと会話をし、心が通じた喜びや感動は今でも忘れません。私はその時に、手話が出来る医師になりたいと思いました。

 中学に入学し、手話同好会があることを知り、迷いなく直ぐに入部を決めました。部員数が少なく、手話の認知度が低いことを改めて実感しました。今は学園祭や学芸会を通して、手話劇や手話ソングを披露し、たくさんの人々に手話の魅力を知ってほしいと活動をしています。また、高校生になり、手話をもっと深く知りたいと思い、自分の住んでいる町の手話サークルに参加したり、手話言語条例に関する講演会に参加しています。私達が住む町すべての人たちが自分らしく生きられるために、より良い環境になるよう考えていきたいと思っています。そして、手話も公用語の一つとして日本に広がっていければいいと思っています。将来、医師の立場からその活動に携わることが出来たらといいと考えています。また、医師になるための知識を得るため、夏休みに骨髄バンクのイベントのボランティアに参加し、また、上級救命士の資格も取得します。コロナ禍の中でいろいろと制限がある中でも、医師になるために、高校生で出来ること、今しか出来ないことを見つけて、目標に向かって積極的に活動をしています。

 私の将来の夢は、手話が出来る医師です。手話を通して、患者さんの心に寄り添うことが出来る医師になりたいのです。中学3年生の時に「いのち再び〜手話通訳者ががんになって〜」という本を読んだことがあります。そこには、患者は医師や看護師のなにげない所作に敏感に反応してしまいます。聞けば簡単に解決することなのに結局聞けないまま言葉を飲み込んでしまったことが多くあったと書いてありました。言葉で会話が出来る人でさえ、医師を目の前にすると、聞きたいことも気軽に聞けなくなってしまうのだから、耳が聞こえない人にとってはなおさら、手話通訳士を通して聞かなければなりません。些細なことや不安に思ったことを気軽には質問が出来ず、諦めてしまうのではないかと思いました。ですから、私は自分で手話が出来るようになって、直接患者さんと会話をし、どんな些細な質問や不安要因も引き出し、本人が思いを出せるように寄り添うことが出来る医師になりたいと思っています。


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