湘南白百合学園高等学校 2年

小田原  麗 奈
 

祖父の背中を追って
 
 人は誰しも、幼い頃から色々な職業を夢みて成長することだろう。私自身、プリキュアやパティシエ、お花屋さんに警察官など、様々な職業に憧れを抱いてきた。小学生になると、ドラマがきっかけとなり、憧れの職業に医師が追加された。ある時まで憧れの一つに過ぎなかった医師を、私は一つの出来事を経験してから強く志すようになった。

 私の祖父は、精神科医だった。祖父は、家族の前で仕事についてほとんど話したことがなかった。また、何度か祖父の病院を訪れたことはあったそうだが、幼かったこともあり、あまり記憶に残っていない。幼い頃風邪をひくことが多かった私は、よくかかりつけの病院へ行っていた。そこで私を診てくれた医師は、とにかく業務を淡々とこなす人であったという記憶がある。コミュニケーションも少なく、極端に言えば流れ作業のように感じられた。その時、ドラマに出てくるような、患者に親身に寄り添ってくれる医師はいないのだろうな、と少し落胆した。

 しかし、そんな私の考えを変えてくれることが祖父の葬儀で起こった。葬儀には、祖父の同僚や友人、そして長く診てきた患者の方々が多くいらしていた。そんな中に一人、車椅子に乗っている方がいた。まっすぐ祖父の遺影を見つめ、涙を流していた。私はその人が誰なのか気になり、母に尋ねてみると、祖父が何十年も診てきた患者の方だと言う。その人の姿が、当時幼かった私にはとても印象的に思えて目を離せないでいると、私の方へいらして、突然私の手を強く握った。急なことで驚いていると、彼は祖父がどんな人であったのか話し始めた。

 祖父は患者の方々とのコミュニケーションをとても大切にし、そして楽しむ人だったと言う。祖父は私の前では非常に寡黙な人だったので意外でならなかった。彼は、生まれつき精神疾患があり、昔からひどいことを言われたりと、苦しい思いをすることが多くあった。そのため、病院に通い始めたときは、人のことを信じることが難しく、祖父の言うことも空虚で偽善にすぎないと感じていたらしい。このままこの病院に通っても意味なんてない、この病院に来るのは今日で最後にしよう、と考えたそうだ。祖父は、彼がこう考えているのを感じ取ったのか、「必ず一緒に良くしましょう。また会う時を楽しみにしています。」と、目を見て力強く言ったという。その真剣な眼差しに嘘はないと感じられて、彼は通院を決めた。

 その後、彼は数十年に渡り、祖父が亡くなるまで病院に通った。通院を経て、苦手だった会話も楽しさを感じるほどにまで克服し、苦しみに溢れていた生活には光が差したように思えたと言う。最後に彼は、「あなたのおじい様がいなかったら、今私はここにはいないでしょう。深いところにいた私を救ってくれたのです。本当に感謝しています。」と言った。

 生前、医師として働く祖父の姿を記憶に収めることはできなかったが、彼の言葉を通して、祖父は私に医師としての理想像を示してくれた。医師として、医療行為を通して患者を助けることは一番大事なことである。しかし、会話を交わすことにも、人を大きく救う力があると私は思う。コロナの感染が拡大して、当たり前だったはずの友人との他愛もない会話ができなくなった時、まるで心にぽっかり穴が開いたように虚しく寂しい気持ちになった。私自身、日頃から何気ない会話に救われていたのだと感じた。

 私は今、高校3年生になり、受験を前にしている。祖父のように患者に寄り添い、多くの人を救うことができる医師になるため、偉大な祖父の背中を追って努力を続けていく。


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