東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校 2年

森 山  ひ か る
 

テレワークで変わるコミュニケーション
 
 新型コロナをきっかけに、テレワークを中心に働き方に選択肢が増えた。その選択肢は、さらにそれぞれで改良され発展している。

 私は、場所・時間に柔軟性を持たせたテレワークに大賛成である。このことで、一歩を踏み出せる人が確実にいるからだ。

 以前、私の母は就労移行支援事業所に勤めていた。就労移行支援事業所というのは、障害のある人達が、実際に就職をする前に準備期間として通う場所だ。そこでは、勤めるにあたり必要なことを学ぶ。

 例えば、長くひきこもっていた人は、対人関係の感覚などを忘れてしまっている。コミュニケーションの取り方や面接の受け方、履歴書の書き方など、細かく就労に向けた訓練と実践を積む。

 また、企業側に障害のある人が働きやすい環境を作ってもらえるよう、提案もする。交通事故などで片麻痺になった人が仕事をする場合、どのような配慮が必要かを助言するのだ。椅子の高さ、杖を置く場所、筆記用具の位置など、片麻痺の人にしか分からない大変さを伝えるとともに、具体的な位置や高さ、配置場所などを提案する。

 この福祉施設を利用する人の多くが、たくさんの人がいると心臓がばくばくする、と言うようだ。誰かと歩調を合わせなくてはいけない強迫観念。その事で心がいっぱいになってしまい、肝心の仕事そのものがおろそかになってしまう。

 テレワークの導入で働く希望はあっても、通勤やオフィスの雰囲気で一歩を踏み出せなかった人が、自分の希望にかなった時間や場所で少しの時間でも働けるようになるのは、日本経済にとっても大きな意義がある。

 就労支援事業所に通ってきている人達が、少なからず社会からおいてけぼりにされてしまった、と思っている。障害は悪いことではないはずだ。しかし集団生活の中で少し時間がかかってしまうところがある。それは足並みを揃えられる人から見ると、イライラしてしまい、心無い言葉を投げかけ、追い詰めてしまう。

 しかし、テレワークの導入で、少しの時間でも社会と接点を持つことができ、そのようなケースが増えてくれば、コミュニケーションの方法も変わってくる。

 このことを解決するために、心に余裕を作る教育も必要であると思う。待つ、何か手伝うことはないかと聞く、やりやすいように配慮をする、など、義務教育期間に体験し学んでいくカリキュラムがあるといいと思う。

 ただし、私はこの配慮や手伝うことが、考えている以上に難しいことを知っている。

 小学校の時、福祉体験という授業があった。自分で車いすを動かしたり、押したり、白杖を使って目隠しで歩いたりする。小さな段差でも転ぶ。急に話しかけられると、びっくりする。

 車いすも、小さな段差で前のめりになってしまいハッとすることがあった。体験して大変なことが分かるとともに、自分が手伝うことで余計なことをした結果になってしまわないだろうか、という不安がおこる。

 障害のある人と共にする時間をもっと持たなければ、その感覚さえ養えないと思う。特別支援学校や障害のある人だけでまとまるクラスも、配慮の一つかもしれない。しかし、一緒に行動をする中で、配慮をする、気持ちを汲み取る、こうしてほしいという意見を述べる、どうしたらいいか聞く、という経験も必要な気がする。

 つまり、テレワークを普及させるだけでは足りないのだ。働く年齢に達するまでに、これまで以上に様々なバックグラウンドを持つ人達と協力して仕事をする、その準備が必要であると思う。相手を尊重し、その中で自分の意見も伝えられ、協力しながら仕事を進めていける能力、これは日本を飛び越えて、海外でも重宝される「技術」になると思う。

 現在進めている働き方改革は、人間関係の改革といっても過言ではない。様々な状態や考えの人達と関わることのできる人間教育こそ、最大の目的であると思う。


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