青森県立弘前実業高等学校 3年

鈴 木  渓 心
 

「らく語家になるぞ」2021
 
 小学校2年生の時、地元弘前の小学校から選出された作文を掲載する文集「ひろさき」に載った。その時のタイトルは『らく語家になるぞ』。それは、PTAの人が発表の場を設けて、そこで落語を披露し、失敗するものの、周囲の人の声を受けて再び前を向くことができた、という内容だった。高校3年生の今、再び落語と自分について考えてみた。

 私が落語を好きになったきっかけは覚えていない。何故か保育園の頃から興味を持ち、短い噺(はなし)を覚えて演(や)っていた。小学校に入ってからはお楽しみ会などで発表し、多くの友達が私の夢を理解してくれた。そして冒頭の作文を書いた翌年、私は運命的な出会いをする。ある日、たまたま見つけたBSの落語番組を見ていると、その人が現れた。その人の噺は、夜な夜なアパートの戸の前に石が置かれる男がその犯人を見つけるという、それまで私が聴いてきた落語とは明らかに違うものだった。設定が現代なので、くすぐり(ギャグ)も分かりやすく、オチまでがあっという間だった。その人とは、今大人気の噺家、柳家喬太郎師匠だ。それから私は師匠の落語を聴きまくり、どんどんのめり込んでいった。そしていつの頃からか「師匠の弟子になりたい。」と思うようになった。それまで漠然としていた噺家になりたいという夢が、この頃からはっきりとした「目標」に変化していった。そして小学校4年生の冬、私は生で喬太郎師匠の落語を目にした。地元弘前のホールで行われた会で初めて師匠を見た時はまさに夢のような気持ちがした。終演後、私は新聞のインタビューを受けた。その後、記者さんが「師匠が出てこられるのを待っていたら?」「師匠と一緒に写真撮ってあげるよ。」と言ってくれた。私は何が何だか分からず、思わず泣いてしまった。しかし、ここで会わなかったら絶対後悔すると思い、師匠に声をかけた。師匠は優しい笑顔で写真撮影をしてくださった。その時の光景は写真を見るたびに思い出される。その後も何度か師匠の落語を生で観る機会があり、その度に足を運んだ。そのうちの一回で、師匠に手紙を渡したことがあった。すると翌年の1月、師匠から年賀状が届いた。私は思わず狭い家の中を走り回ってしまった。そして同時に「やはりこの師匠の弟子になりたい。」という思いが大きくなった。

 中学校に入学してからも落語への思いは収まるところを知らず、逆により多くの噺を聴いたり、関連の本を読んだりした。喬太郎師匠以外の噺家さんの噺もたくさん聴いて、いろいろな人が好きになっていった。しかし、他の師匠をどれだけ聴いても「この人の弟子になりたい。」という、あの時のような思いは湧いてこなかった。それは今でも変わらず、喬太郎師匠と出会った時ほどの感動は味わっていない。

 高校は、地元の実業高校へ進学することに決めた。農業経営科で多くのことを体験することで、将来、噺の根多になるという考えもあり、3年間が一番充実しているのもここだと思って決めた。ところが2年生の初めからコロナ禍になり、修学旅行などが中止となった。しかし実業高校は日々の生活がとても新鮮で、面白い体験がたくさんあった。そして今、3年生。進路を選択する時が迫っている。現実的なことを考えると、卒業後にすぐ入門することは難しい。未だに進路を決めかねている状態で、自分のことを見つめるべきタイミングだと思っている。しかし、変わらない思いは、「どのような道をたどったとしても、必ず噺家になる」というものだ。自分の魅せられた「落語」で今度は自分が人々に笑いや感動を届けたい。あの時喬太郎師匠から受けた衝撃を誰かに与えられるような噺家になりたい。この、小さい頃からの夢を叶えられるように、これからも落語に魅せられながら、行動し続けていく。

 そして必ず、「らく語家になるぞ。」


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