開智日本橋学園高等学校 3年

焼 山  美 羽
 

アートの力を信じて
 
 新型コロナウイルスの流行によって、美術館が自宅で気軽に楽しめる美術展をオンラインで開催したり、若者が携帯で撮った写真をインターネット上に投稿して発信したりと、現代においてアートに触れる機会は増えている。私はあらゆる人が夢中になれるアートこそ、日常生活から離れて休息をとることを勧める手段だと考える。

 私自身、忘れられない経験がある。小学生の頃に病気にかかり、入院した時のことだ。手術の前日、お医者さんと地域の方が協力して描いた海の絵を看護師さんが病室に飾ってくれた。話を聞くと、それは小児科の各病室の絵を全て貼り合わせると大きな一つの作品が完成するというものの一部だった。私は絵を見るたびに手術のことを忘れられて、温かい気持ちになれた。

 「皆で力を合わせてという意味と、患者さんの回復を祈ってね」。

 その病院では医療環境を親しみやすい空間に変えるため、ホスピタルアートが病室以外にも溢れていた。小さな子供にとってもアートは頼りになる。これがきっかけとなって、「面白い、もっとアートについて知りたい」という思いが私の中で生まれたのだった。

 それから、家の近くにあった孤児院でのボランティア活動を通じて「アートセラピスト」の存在を知った。アートセラピストとは、パートナーとして精神のケアが必要な患者をサポートし、また豊かな発想をアートセラピーで導く仕事をする人のことである。主に絵画教室や老人ホームの他、幼稚園などでもみられる。ここでいうアートセラピーでは、スケッチや彫刻での表現が治療のプロセスに用いられていた。例えば、自分の内側に葛藤や迷いがある場合、心の全体像を絵に描いて整理し、これからの生き方を自分なりに探求するのを手伝うことができる。孤児院で傷を負った心に優しく寄り添うアートセラピストの姿は、私の目にとても魅力的に映った。治療する相手の人生を良い方向に変える、そんな力をもっているように感じさせたからである。

 しかし、他国と比べて日本のアートセラピストはまだ少なく、認知されていないのが現状だ。そこで私は、アートセラピストを目指しながら地域活性化の開発にも携わることを目標にしていきたいと考えた。全体的にみて日本はパブリックアートの普及が進んでいない。だから身近にある公共の広場や歩道を自由なアート発信の場として捉え、見た人に安らぎをもたらしたい。例えば、折り紙や着物を活用したオブジェなど、日本の伝統文化を取り入れた設備の建設を提案する。これは訪日外国人を含め、世界に向けても影響を与えられるのではないかと思う。

 さらに私は、視覚障がいをもつ女の子と孤児院で出会い、多様性を認め合う大切さを実感した。美術品を手触りや音で楽しむ方法を試したところ、障がいがあるという疎外感を取り除き、彼女が他の子達と一緒になってアートに触れ合えた瞬間を目の当たりにしたのだ。連日、ニュースで取り上げられている「いじめ問題」にも言えることだが、先入観で人を決めつけ、批判的な目でしか物事を見ることができないとしたら、明らかに他者の可能性を奪ってしまうことになる。これはアートセラピストを目指す上でも、自分は平気か確認すべき事項だと思う。そして性別や年齢、国籍さえアートには関係ないと人々に伝えなければならないこともまた示唆している気がする。

 好きなことを仕事にするのは困難なことであり、誰でもそう簡単にいくわけではない。厳しい道のりを歩む覚悟が必要だと思う。私も見ている世界はまだ狭い。だから大学に進学してたくさんの知識を得るつもりだ。加えて、相手の立場に率先して立ち、どんな声にも耳を傾けるなど、今から実践できることだってあるはずだ。私は夢を叶えたい。アートは人の笑顔を育み、届けると同時に個人のアイデンティティーをも確立するのだと信じて。


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