安城生活福祉高等専修学校 3年

奥 村  み ら い
 

叶えたい夢
 
 私は幼い頃、苦手な人がいました。その人は、私の叔父です。叔父は、生まれた時から障害を持っていました。幼かった私は、理解することが出来ない行動をする叔父に苦手意識を持っていました。そんな叔父と向き合い、介護の仕事に興味がわいた出来事がありました。

 私が高等専修学校2年生のころ、祖父が倒れてしまったのです。夜も遅く、救急車のサイレンだけが響き渡っていました。祖父は叔父と二人で暮らしており、近所に住んでいた私達の家まで叔父が報告してくれたのです。祖父は、そのまま救急車で運ばれ、母がその付き添いとして病院に行くことになりました。その場で私は叔父と二人になりました。園児の頃から叔父を避けて続けていたので、何年ぶりかに顔を見ることになったのがこの日でした。急な出来事に私は、戸惑っていましたが、私以上に叔父はパニックを起こしていました。二人で暮らしていて、突然祖父が倒れてしまったのでパニックになるのはしょうがないことでしょう。私はそんな叔父を見て自分も一緒に慌ててしまったら元も子もないと、冷静な判断を取ることが出来ました。

 ところが、今まで避けてきたということがあり、叔父に話しかけるのには、勇気がいりました。パニックになっている人にどのような声かけをしたら良いのかわかりませんでしたが、私の言葉をしっかり理解し、少しずつ落ち着いて話すことが出来ました。

 この時、今まで理解出来ずに避けていた叔父と普通に話していることへの驚きと、今まで避けてきたことへの罪悪感が強くありました。

 私は今まで、幼い頃の記憶に縛られ、叔父を理解しようとせず、会話をしてきませんでした。このことを今になって後悔しています。幼稚園児の時は無理でも、小学生や中学生の時はどうだったろうか。ある程度のことは理解することが出来たのに、会うことを拒んでしまっていたことへの後悔ばかりが残りました。叔父への償いとまではいきませんが、今まで避けてしまった分までたくさん話をしたいと思いました。

 そして、障害についても知りたいと思いました。叔父と楽しく会話をするには、障害について理解し、適切な対応が必要です。そこで、私は介護の道に進み、高齢者や障害者について学び、その知識を生かすことのできる仕事に就きたいと思いました。

 叔父と母の影響で障害についてより多くの人に知ってもらいたいと思うようになりました。母は、一人で私と弟を育てながら、曾祖母のために介護の勉強をして、少しでも負担を減らそうと頑張って資格を取りました。祖父は、一度倒れてしまったことで母の助けを借りることが多くなりました。叔父の世話も母が見たり、一人でたくさんのことをしている姿を見て、自分も何かできることがないかと考え、介護や障害について学んだことを生かそうと思いました。母のように、知識をつけ、人のためになることがしたいです。私のように、知識がなかったせいで障害者への印象が悪い人もいると思います。そのような人を少しでも減らすことが出来るようにしたいと思います。このような考えが自分の周りへどんどん広がっていったら、すべてを理解出来なくても、何かあった時に対応できる人が増えると思います。

 私の夢は、障害のある方が通う施設で働くとともに、障害について多くの人に伝えることです。この夢が叶うよう安城生活福祉高等専修学校で学んだことを生かせるようにしたいのです。


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