桐蔭学園高等学校 2年

加 藤  千 采
 

祖父は理想の研究者
 
 「ドングリじいじ」それが私の祖父の呼び方だった。なぜそう呼んでいたのか忘れてしまっていたが、祖父の葬式で思い出した。葬式には祖父の職場の関係者の方々が大勢参列して下さった。

 「お孫さんですか。あのドングリの。よく調査の時にドングリを拾って渡すのだと言っていましたよ。」と初めて会う方々が話しかけて来て下さった。仕事中でも私を喜ばせようと考えてくれた祖父の優しさを知って思わず涙がこぼれた。私にとって祖父はいつも遊んでくれる優しい人だったが、葬式がきっかけになって祖父の研究者としての一面と人柄を深く知ることができた。

 祖父は学芸員として、とある野外博物館に勤務し、文化財保護に奔走していた。生涯をかけて研究したのが「鎌倉時代の板碑」だった。板碑とは、石材を板状に加工し梵語を刻んだ塔婆である。元々は仏塔を指すが、お墓の後ろに立てる木製のものの石版だと考えて頂きたい。その蝶型蓮座という新しい型を発見した。

 祖父は板碑を研究するにあたって、多摩や埼玉、さらには静岡などへ頻繁に出向いた。地方史資料の編纂のために日帰りで他県に出向き、翌日も仕事、休日は調査でほとんど家にいなかった。帰宅後は閃くと食事中でもメモを取り始めるほど没頭し、調査で人手が足りない時には祖母をかり出して作業した。

 祖父は仲間の教授に誘われて、豊臣秀吉が朝鮮出兵時に持ち帰った靖国神社の石碑を返還する際、拓本を取って内容を記録するチームにも参加していた。個人の依頼から自治体の依頼まで、協力の要請が絶えなかったそうだ。行政と有識者をつなぐマネージメント力もあった。生涯、研究者として情熱を持ち続けていた祖父を尊敬するし、憧れる。

 また、祖父はどのような地位に就いても、お金は全て文化財保護に回すように強く主張し続けたそうだ。その潔癖さや頑固さに祖父らしさを感じると共に、その姿勢を格好良く感じる。

 私は現在、学校のサイエンスプログラムで魚のアユについて研究している。先生に教えてもらった「魚類学」という本が面白かったことで分子生物学や発生学、魚類に対して関心を持った。元々研究職には憧れていた。そしてその気持ちは、祖父の生き様を知れば知るほど強くなっていく。

 祖父の研究者としての姿から、研究者にはその分野に対する専門知識、実験や調査をするための技術、情熱を持って研究を続ける粘り強さ、物事を冷静に捉える批判的思考が必要なのだと感じた。

 祖父と私は似ているところがある。一つ目は集中すると周囲の声が一切聞こえなくなるところ。二つ目に正義感が強いところ。三つ目に好奇心が旺盛であるところだ。憧れの祖父と性格が似ているのは嬉しいが、研究者としての資質はどうかというと、到底及ばない。高校生であるからもちろん知識や技術は不足している。批判的思考も修行中だ。最も足りないと自覚しているのは粘り強さだ。祖父は一つの事柄を深く掘り下げることにたけていた。知りたいことがあれば大学の教授に指示を仰いだ。わからないことはわかるまで追い続けた。知るために手段を選ばない貪欲さがあったように思える。私は人に質問することに抵抗がある。それは間違ったことを聞いたらどうしようという羞恥心があるからであり、大きな課題である。

 では今できることは何か。少しでもわからないことは勇気を出して質問に行くことだ。そのためにはもっとしっかり授業を聞いて、自分で積極的に調べる習慣を確立したい。そうすれば自信をもって質問できるのではないだろうか。

 祖父のような真摯な研究者を目指して、自分の殻を破ってみせる。まずは一歩踏み出そう。そしていつか「ドングリじいじ」に追いつきたい。


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