広島県立広島皆実高等学校 2年

難 波  日 和
 

奇跡のそばに。
 
 忘れもしない小学4年生の冬。私の弟は家族4人と助産師さんたちの温かい笑顔に囲まれてこの世に生まれてきた。また、私にも、明確なある一つの夢が生まれたのである。

 小学4年生。夢は優しく物事を教えられる教師になることだった。子供たちの笑顔に囲まれて、慕われるような仕事がしたかったのだ。弟が生まれることがわかってからも出産というものはあまリイメージできなくて、その夢は変わることはなかった。赤ちゃんなんて予定日になれば自然に生まれてくるんじゃないか。痛いとは聞くが、その痛みなんて全く想像もつかないし、なにもわからない。10歳の私が考える出産なんてそのようなものだった。なにも知らないのは嫌だから産科医を描いた漫画を読んだ。実感が持てない。そうこうしているうちに、12月。出産予定日を5日すぎた寒い日。ついにやってきた。

 「陣痛、きたかもしれない。」

 母は経産婦で結構痛みには強いと聞いていた。事実、少し痛みに耐えかねず、うめくことはあれど、子宮口がまだ開ききっていない時には全然声も出してはいなかった。けれども普段気丈な母がうめく声を聞いて、初めてこんな姿を見て、不安でいっぱいになった。弟も泣き出しそうだった。しかも母は溶連菌用の点滴をしながら出産を迎えたのである。点滴、普段と違う母。無事に終わってくれるのか。弟は?無事?出産という未知のものに圧倒されてしまった私に一人の女性が歩み寄ってきた。

 「お母さん今頑張ってるよ。大丈夫。悪いところはないし、赤ちゃんもお姉ちゃんに会うために今頑張って出てきてくれてるからね。お母さん楽になるかも、だからテニスボール腰に当ててみようか。」

 言われるままにテニスボールを母の腰に当てた。少し楽そうな表情を浮かべた母。それだけで不安だらけだった心はふわりとおもりが取れたように軽くなった。普段と違う母も、点滴も全部全部、頑張っているんだ。弟だって頑張ってくれている。信じて、笑顔で迎えよう。その一心で4時間。弟が生まれるのを待ち続けた。12月5日、12時56分。ついに、弟が誕生を知らせる声をあげた。今でも覚えている。あの空間はすごく温かかった。部屋全体が彼の誕生を祝福する笑顔という温かさに包まれていた。これが、奇跡なんだ。そう感じずにはいられなかった。奇跡だと思えたのは、笑顔でいっぱいにしてくれたのは間違いなくあの助産師さんのおかげだ。このように私も、誰かを笑顔にできたら。出産という奇跡を。命の誕生を笑顔で迎える支えになれたら。あの時の助産師さんは今も私の憧れである。

 今、私は看護師の資格を得るために5年一貫の看護科に通っている。この資格がないと助産師の国家試験は受けることすらできない。たくさんの事前課題やレポートで大変な日々。校内実習などでは練習をしても手技がうまくできずに心が折れそうになることも何回もあった。それでも、あの奇跡の瞬間を思い出すたびに頑張らなくてはならない、と自分を奮い立たせることができる。あの温かさを与えられるような、人に寄り添うことのできる力を今、身につけて、大人になって自分の理想の助産師像に近づけるように、これからも努力していきたい。


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