横浜デザイン学院高等課程 1年

奥 村  生 芽
 

かたつむりな私の将来
 
 現在の私には、まだはっきりとした目標はなく、形だけがぼんやりと浮かんでいた。なんとなく「あれやってみたいな。」「これやりたいかも。」と思うことはあるものの、なかなか実行には移せずにいる。

 実のところ、私はマイペースだ。のんびりとしたかたつむりみたいな性格で、とにかく動くのが遅い。そんな私はいつも怒られてばかりだった。私にとって、社会での目まぐるしい変化についていけるのか、「なんとかなるだろう。」と考えてはいても、心の端では不安が募るばかりだった。

 中学1年生の頃、私は不登校に陥った。先生やクラスメイト、勉強、親、すべてから逃げ出したくなった。その最中に母との関係は悪化し、まさに地獄を極めていた。もう無理だと全てを投げ出したくなった私を繋ぎ止めてくれていたのは、絵だった。

 元々は、とある動画投稿者がきっかけだった。両親は共働きで一人っ子の私は、暇つぶしにサイトを開き、ふと目に留まった。偶然の出会い。しかし、私の人生の原点。その人を応援したいと思い、絵を描き始めた。

 だが、いつしかその人の動画を見なくなり、絵を描く意味を見失いかけていた。その時に、不登校が重なったのだ。不登校中、ずっと絵を描き続けた。他の人よりも少ない数、上手とは言えない絵だったが、それでも描き続けていた。

 ある日、ネットで出会ったのは、当時、大学生の方。その人と話をしていくうちに共通の趣味を見つけ、一緒に遊ぶようになる。その中でも絵を描いた。描いた絵を見せると、「可愛い。」と褒めてくれた。その一言で、私の心は救われた気がした。その一言から私の世界が徐々に開かれ、色づいていった。やっと自分が絵を描く意味を取り戻せたような気がする。そんな喜びの感情が、私を温めてくれたのだ。

 中学3年生になってからは、少しずつ前向きに考えられるようになった。親との関係も回復し、また昔のようになった。それは絵にも影響し、以前よりも格段に集中できるようになった。もっと描きたいと思えるようになった私に自信がつき、現実に向き合えるようになったのだ。

 絵を通し、色々な経験をした。いつしか、絵を描く理由が湧いてきた。私は自分の感情や肝心な意見を話すことが苦手である。そこで、絵を通して自分の気持ちを表現したいと思った。そのなかで、まだ知らない私を発見できたなら、また新しい自分になれるだろう。私はそれを繰り返して、常に変わっていく自分に驚いていたいのだ。

 そんな私は、現在高等専修学校で学業とは別にデザインの勉強をしている。中学ではやらなかったことが多く、忙しい毎日ではあるものの、新しい友達や行事、好きなものを勉強できる時間があることに、楽しいと思える日常に心を躍らせている。

 なりたい夢は正確には未だ見つかっていない。しかし、私の中にある灯りは、まっすぐに道を照らしている。たとえ、分かれ道が出てきても、自分で進めればそれでいいと思う。「絵を描きたい。」という気持ちは決して崩れることはない。その芯は折れないだろう。いつか自分を知り、私だけの表現で世界を知りたい。

 今はそのための準備をしているのだと考えている。なりたい自分になるために。


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