中国デザイン専門学校高等課程 3年

大 森    和
 

これが居場所
 
 絵を描くために生きている。

 日々そんなことを感じるようになったのは、中学生あたりだろうか。

 その頃の自分はなんだかふわふわとしていて、ずっと夢をみているみたいだった。教室にいても、家にいても、周りの背景と同じになったような気持ちだった。

 それに飽き足らず、自分はとんでもなく不器用だ。勉強はもちろんのこと、スポーツも、ふざけているつもりはないのに、すぐ何にも無いところで転ぶ。みんなが出来ることが、うまくいかない。会話だってうまくない。惨めで惨めで、だから学校にも外にも出なくなった。

 すると今度は家の人達に申し訳なくなった。出来るだけ小さくなっていたくて、昼間はずっと布団の中に隠れていた。

 でも、絵に触れている私は、確かに生きていたのだ。

 私にとって唯一の現実が、絵を描いたり、作品に触れたりしている時間だった。好きな物語に出会えば、それだけで元気になれたし、その物語に続きがあるのなら、小さくなっている場合ではない。自分で作品を作れば作るだけ、自分の居場所が増えていくような気持ちになるのだ。

 それも全て、素敵な作品を生み出してくれる先人たちがいるからだ。そんな人たちに、私もなりたい。絵を描く仕事、イラストレーターになりたい!

 私はそう決めた。

 中学校を卒業した私は、周りの協力のおかげでデザイン系の学校に通わせてもらえることになった。

 遅刻も欠席もしなくなった。

 心に余裕ができると外に目を向けられるようになった。行ってみたい場所や見てみたいもののために出かけられるようになった。

 前までは考えられない事だ。

 絵があれば言葉が通じない人たちとも気持ちを共有しあえると気づけた。

 日本ですら上手くコミュニケーションを取れない自分が、絵を通すだけで色々な国の人たちと交流ができる。自分が見ていた世界がもの凄く小さい場所だったと、改めて気付かされたのだ。

 もちろん今だって自分は不器用だ。

 周りの人と比べて出来ないことを見つけては小さくなってしまう。それでも、好きなことで生きていくのだと決めたから、大抵のことはどうにでもなるものだ。

 大人は何か理由がない限り、社会で誰かの役に立たなければいけないと思っている、そんな印象を受ける。誰かのため、それはとても大事なことだし、それがあるから仕事として成り立っているのだろう。

 私も誰かに夢を与えたい、そう思っている。

 でも、必ずしもそうでなければ正しくない、なんて事はないはずだと願いたい。自分のため、という理由があったっていいじゃないかと私は思う。

 好きだから、私は絵を描いていきたい。自分の人生で後悔しないために。

 そして何より、これからも笑顔で生きていけるように。


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