桐蔭学園高等学校 2年

大 野  紗 耶
 

見えない痛みを理解する
 
 「お腹が痛い。」といきなり、誰かに言われたらあなたはどう感じるだろうか。

 転んで膝を擦りむいてしまった人がいたらどうだろう。「膝から血が出て痛い。」とわざわざ言わなくても、見れば痛みは伝わる。

 体の内側の痛みは外側からは見えない。検査で痛みの原因を探り、痛みの種類や度合いを推測することはできても、その人の痛みをそのまま認識したり再現したりすることはできない。

 では、どうすれば見えない痛みを理解できるだろうか。

 私は、幼い頃から病弱で病院にお世話になることが多かった。小学生の頃は、学校の保健室の先生と仲良しになるくらい保健室の常連だった。

 私は、重いアレルギー性鼻炎と喘息持ちだ。長年ひどい「鼻水」に苦しめられてきた。一週間学校にいけないこともあったほどだ。

 小学校低学年のとき、授業中に鼻水が止まらなくなったことがある。先生に、「鼻水が辛いので、保健室に行かせてください。」と訴えた。その時、先生は怪訝そうな顔で私を見つめながら「行ってきなさい。」と言った。保健室の先生には、「鼻水で来たの?」と問われた。冒頭に「たかが」という単語が浮かぶような口調だった。一般的に、「鼻水」は花粉症や風邪の症状で、少々我慢すればさほど日常生活に支障はきたさない症状だという認識だろう。

 一方で私の「鼻水」は、少しでも我慢すると何日も苦しめられる恐ろしい症状だ。高熱、くしゃみ、咳、咽頭痛、涙目、さらには呼吸が苦しくなって夜は全く寝られない。終わりの見えない苦しさが一晩中続く。あの頃保健室で「ベッドで寝たいです。」と伝えても、「たかが鼻水」ではなかなか許可してもらえなかった。保健室の先生に状態を上手く伝えられず悔しくて悲しい思いをした。

 かかりつけの先生が仰っていた言葉がある。「子供の患者は、何か症状があっても『大丈夫だよ』と言うことが多い。ただ、その言葉には、二つの意味がある、一つは本当に『大丈夫』。もう一つは大丈夫じゃない『大丈夫』。本当に『大丈夫』になるように、検査をしたり、話を聞き出したりするんだ。」

 確かに、私も「大丈夫」と言いながら我慢していた。鼻水の辛さを訴える勇気も気力もないうえに、それを言語化することも難しかったとき、この先生が私の見えない痛みを理解し、励ましてくれたことが嬉しかったし、安心できた。

 先生は以前、クリニックが休診日だったにもかかわらず、ひどい胃腸風邪と喘息の重なった私を気にかけて、診察してくれたこともある。先生はいつも、私とも親とも粘り強く対話し、その時の症状をよく見て薬の種類を変えるなど試行錯誤してくれた。その結果、成長とともに私の「鼻水」は劇的に改善した。私は先生をとても信頼していたし、今でもその優しさに感謝している。そして私も痛みに寄り添える医師になりたいと思うようになった。

 見えない痛みを理解するためには、患者をよく診て、とことん話を「聴く」ことが不可欠だと感じる。そして、心のケアも大切だ。痛みによる辛さや不安を理解し、あたたかい言葉をかけられると心が軽くなると実感した。

 この夏、私は留学する。英会話の力をつけるのはもちろんだが、どの国籍の人々ともコミュニケーションを積極的にとって、「聴く力」をつけたい。最初のうちは英語の嵐の中、意見を言うどころか「聞きとる」だけでも苦労の連続だろう。しかし、言語の壁を乗り越えて、相手の本音を汲み取る力を身につけたい。そして将来は、粘り強く患者と対話することで、一人ひとりの異なる痛みに気づき、心と体に寄り添うことのできる医師になってみせる。


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