沖縄県立読谷高等学校 3年

松 田  未 空
 

音のない映像と紅を灯したあの瞳
 
 音は覚えていない。しかしきっと町が海に飲み込まれていく恐怖と絶望を感じながらも、心を抑え冷静に状況を国民に伝えようとするアナウンサーの声が確かにこの映像の中には入っていただろう。「私の友達はこんなことしない。」5歳の頃の記憶なんてほとんどない私が鮮明に覚えている「音のない映像。」そこには確かに、次々に街を襲う私の知らない友達がいた。この感情を例えるなら、中学を卒業して一度も会っていなかった当時仲の良かった友達が、突然ニュースで殺人事件の容疑者となって再会するような感覚かもしれない。「あの子はそんな子じゃない。」5歳の私が焼き付けたこの映像には、そんな思いがあったかもしれないと17歳となった今感じている。

 私はこの日になると私が知らない友達の一面を思い出しては、私の知っている今も昔も変わらない友達を見つめていた。私が知っている友達は疲れた心を癒してくれる音楽を奏でる達人で、太陽も月も空も、すべて自分をさらに美しく魅せる相棒にしてしまう自由人だ。でもあの日の友達はいつもと違った。荒々しく、怒り狂ったように街へ街へと走っていき、太陽も月も空も全て濁った泥の中に押し込んでいった。あの優しい友達が一体人々にどんなことをしたのか当時の私には理解できなかったが、友達が人々を悲しませたことだけは理解できた。同じ日本で起こったことで、被害に遭ったのは同じ日本に住む人々。被災地の様子は新聞やニュースの見せられる情報だけしか知らなかった。怖い、悲しいで作られた記事が全てなのだろうか。

 中学2年生の4月。一人の転校生が私のクラスにやって来た。私はこの1年、彼と関わる事はほとんどなかった。だから彼のことは何も知らない。サッカー部で、宿題を出さず、授業中よく居眠りをしているお調子者。私が彼について知っているのはこれくらい。彼が嫌いな給食も、彼のテストの点数も、彼が大切にしていることも彼の心を私は何一つ知らない。でも私はたった一つだけ彼について知っていることがある。「幼稚園にいるときだったな。一回避難したんだけど、そこから麓を見たら、波がすぐそこに迫っていて、『もっと上に逃げないといけない』って先生が言ってもっと高台の避難所に避難したんだよ。」決して重くならない彼のいつもの軽い口調と笑顔で話していた。いつも彼と一緒にいるうちの一人が何気なく聞いた「津波」の話。彼の口調はいつも通りだったが、彼の瞳は落ち着いた深い藍色をしているように見えた。話は続き、彼の友達が「走って逃げればよかったじゃん」と笑いながら冗談を言った。彼の周りはいつもこんな感じで、いつもの彼ならきっと「俺ならサーフィンも楽勝だね」なんて返しそうだったが、彼はしっかり相手の目を見て真剣に答えた。「アホか!波めっちゃ高いんだよ。あれに巻き込まれたらすぐ死ぬよ。」相変わらず軽い口調に真剣さはあまり伝わらない。しかし、彼の瞳には真剣で真っ直ぐ輝く紅が灯ったように私は見えた。

 恐怖、絶望、喉が引き裂かれるような涙。怖い、悲しいだけの実現はそこにはなかったことを私は初めて知った。彼は私と同じ5歳の時、あの友達に会ったのだ。私がテレビの前で固まることしかできなかった瞬間に、彼は生きるために必死に足を動かしていたのだ。もしかすると「死ぬ」という恐怖を感じていたかもしれない。どんな現代アートも敵わない、息が詰まるような飲み込まれる映像。それを彼は音、匂い、色、風、温度全てで感じたのだ。その恐怖が去ったあと、外に出るとすべてが変わっていた。育った街がなくなる、思い出に溢れた家がなくなる、大好きな人の笑顔がなくなる。この辛さはこの世にある言葉では到底表現できるものではないだろう。遠く離れた私の生きている街で知った、育った街を失った彼の瞳。私はこれからもこの日を迎えるたび決して忘れることはないだろう。音のない映像と彼の紅を灯したあの瞳を。


[閉じる]