弘学館高等学校 3年

松 尾  侑 真
 

雑踏が消えた今考えること
 
 都市から雑踏が消えた。コロナが我々にもたらしたものは感染症だけではない。地球の美化。コロナによりロックダウンを余儀なくされた世界中の都市で空気が綺麗になった、青空が見えた、喘息が治まったなど、環境問題の回復とも取れる報告が世界中を駆け巡った。コロナのおかげである。多くの方の命が奪われているなか、これが良いことなのか悪いことなのか私自身断言できない。しかし、考えなければいけないことは沢山あると思う。

 我々はこれからコロナと共に生きていかなければならないだろう。古くから人類は感染症と共に繁栄してきた。天然痘、黒死病と呼ばれたペスト…。大切なことはパンデミックの後、感染症とどう向き合うかである。もちろん、向き合い方を考えるにあたりコロナによってもたらされた地球の美化を忘れてはいけない。

 近年我々は地球を破壊しすぎた。ブラジルの森林面積の減少は著しいものであり、マレーシアは日本に輸出するエビの養殖池のためにマングローブを破壊している。日本もつい最近まで煙突から黒い煙を吐き出していた。発展途上国は今なお吐き出しているだろう。我々の地球に対する『いじめ』と捉えかねられない行為がコロナによって止まったのだ。一時的に。近いうちにまた、黒い煙を煙突から吐き出し、毒を垂れ流しにするだろう。

 withコロナからアフターコロナへと移り変わろうとするなか、我々は環境問題の回復という観点から地球の将来を今一度考え直すべきではないだろうか。前述のとおり、人類は感染症と共に進化する。今こそ地球と手を取り合い共に生きていく方向に進化すべきではないか?日本と西欧の自然に関する価値観は異なる。人の下に自然があり、我々が支配しているという西欧の考え方に対して、日本は自然と共に生き自然から恩恵を受けているという考え方だ。日本のこの価値観をこれからも残していかなければならないと私は思う。この価値観まで西欧化してはダメだ。

 人類は地球の上に立ちすぎた。地球を自分たちの利益のために破壊しすぎた。100年後地球が滅びるというようなバカげた話はないと思われるが(0%ではない)自分たちが生きている間だけの利益を考えて生活して良いのだろうか。その尻拭いをしなければならないのは他でもない我々の子孫なのに。私はコロナがもたらしたこのチャンスを無駄にしてはいけないと思う。SDGsが世の中に浸透してきた今日この頃、アフターコロナへと社会が向かう中で、今一度環境問題に立ち返り自然と共に生きたいと私は考える。

 日常から自然が減り、自然との関わりが希薄になっているのは事実である。小さい子は寿司のネタが海を泳いでいると思っているそうだ。この文章を読んでいるあなたはこんな馬鹿げたことはないと思っているかもしれないが、これが現実なのだ。ますます都市化が進み2050年には世界の人口の68%が都市に集中すると推測されるいま、環境問題に立ち返り自然と手を取り合ってはどうか。初めは、友達と自然と共生する社会を作っていくためにどうすべきか考えるだけでも良いと私は考える。その一歩が大切なのだ。世界中のみんなが、77億人が考えれば変わるはずだ。

 空気が綺麗になった、青空が見えた、喘息が治った。これが一時的なものではなくこれからもずっと続くものであってほしい。私は今現在、地方の田舎に住んでいる。コロナ禍を経て、より一層綺麗に見えるようになったこの満点の星空を皆に届けたい。


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