湘南白百合学園高等学校 2年

山 岸  愛 里
 

「死」から学んで
 
 私の夢は、医師になることだ。

 小さい頃から、大人になった時のことを聞かれるたびに、自分は医師になりたいのかも知れないと、半信半疑だった。しかし、今こうして確信へと変わった事には理由がある。

 小学校1年生の時、総合学習の一環で、私のクラスは羊を育てる事になった。牧場から2匹のメスを連れてきて、休日も交代しながら育てた。育てるという体験は初めてで新鮮で、非常に楽しかったのを覚えている。

 そんなある日、片方が妊娠したことが分かった。まさか子羊に会えるという経験までするとは思っていなかった。その日を目前に、緊張しながら準備し、その日を指折り数えながら待った。

 しかし、生まれて数日して子羊は天に帰ってしまった。防寒対策に甘さが出ていたことが原因だろうとのことだった。私には正直失った悲しみはあまりなかった。というのも、私はそこで初めて「死」を知ったからだ。あまりにも物知らずだった事もあるが、数日で目の前から消えた命が、あまりにもあっけなくて、当時の私にはその事実が非常に不思議だった。私は数日で「生」と「死」に出会った。

 数年後、一進一退の病状を繰り返していた父方の祖母も遂に天に帰った。初めてみる人かのように祖母に「誰かしら?」と声をかけられた時から、私は祖母から、現実から目を背けていた。人を変えてしまう病の力を初めて知って怖くて、分からなくて、受け止められなかった。

 葬式で祖母に死後初めて会い、彼女の顔を見た。少し微笑んだ、解放されたような顔が印象的だった。その時私は「死」にまた出会った。まだ幼かったので、またもや悲しみは無かった。ただ不思議さがない代わりに、今度は畏敬の念を感じた。元々話せない生き物の死と、数週間前に会話した生き物の死とでは、私の中で明らかに境界線が引かれていた。

 そのちょうど一年後、父方の祖父も祖母を追うように旅立った。今でも原因不明の、突然の死だった。病気でもなかったのに、また私の前から流れるように消えた。彼もまた安らかな顔だった。

 こうして私は、三度「死」に出会った。「死」が私に与えてくれたことは多かった。

 まず、私は「死」の違いを見出した。あの頃と違って、今ではどれもみな悲しい事実になった。だがそれは、人が違えば状況も違う、時間が違えば意味も違うことを教えてくれた。時間や人という枠に縛られず、死は形を変えながら残っていくという事を身を持って知った。

 そして、「死」は「生」と表裏一体であることも教えてくれた。実は、子羊が亡くなってから数年後、我が家に子犬が、祖母が亡くなってから従兄弟に弟が産まれた。偶然だとしても、私は生命の流れを信じたいと思う。やはり生も形を変えながら残っていくのだ。死んでしまってもう何もできなくなるのに、皆安らかな顔で眠る理由が、少し分かった気がした。

 生命の神秘を知ったこれらの経験こそが、私の夢の基盤だ。病院では、毎日命が生まれ消えていく。それを目の当たりにするのは心が痛むだろうが、その一方で感動的であると思う。人にはそれぞれ生まれた場所があり、過去があり未来があり、また死ぬ時も違うからだ。それを見届けられる場は病院以外の何処にも無い。だから私は、目の前の生命の流れに、感動に触れられる将来にかける。そこには十二分の価値があると思うし、満足感があるはずだ。

 また私は見届けるだけではなく、手助けもしたいと思う。生死は表裏一体なのだから、受動的に受け止めていたら、きっと何か大事なことに気付かないだろう。子羊が生まれた時の準備のように、常に最善を尽くすこと。その姿勢が患者にとって何よりの安心剤であるのは、私は祖母の時に既に知っている。

 医師は、私の経験だけで語るには荷が重い職業だ。だが、唯一無二の生命の神秘を目の前にして、答えなき人生を相手に模索し続ける職業である。それは、ある種の芸術と言っても過言ではないだろう。

 だから私は、医師になりたい。


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