安城生活福祉高等専修学校 3年

鈴 木  陽 菜
 

前向きになれた私
 
 私は、健聴者とろう者が交流できるカフェを作りたいという夢があります。

 私は3歳の時、突然右耳が真珠腫になりました。それから耳を治すために何度も、何度も手術をしていくうちに右耳は全く聞こえなくなってしまいました。右耳の聴力を失ってから日々の生活で苦しむことが増えていきました。学校生活においてもトラブルばかりでした。クラスの人が後ろから私に話しかけてきた時、気付かずに行ってしまった時、無視されたと勘違いされてしまったり、担任の先生が私の耳のことで大丈夫かと気にかけてくれた時もクラスの人にひいきをされていると言われたこともありました。その頃から自分の耳の病気について恥ずかしいと思うようになり、会話の内容が聞こえていなくても聞こえているフリをするようになっていきました。そうやってその場しのぎで日々を過ごしていくなか、今度は左耳が突発性難聴になってしまい、一時は全く音がない世界になりました。いつになったら治るのか、それともずっとこのまま音の無い世界を過ごすのか、どうしようもない気持ちで一杯になりました。

 ところがある日突然、音が聞えるようにはなりましたが、耳鳴りは相変わらず私の左耳でなり続けて私の日常を邪魔するようになりました。病気のせいでこんなにも辛くて苦しい思いをしていると、自分の耳がとても嫌で憎たらしく感じました。普通の人になりたいと思い、生活をしてみても現実は甘くなく、車の音に気付かなくて何度も危ない経験をしました。

 そんな時、私は手話というものに出会いました。手話は言葉が聞えていなくても、手の動きと口の動きだけで人との会話ができるものでした。声がうまく聞き取れなくて人とのコミュニケーションを取るのに苦労していた私にとって、手話を知ったことはとても嬉しいことでした。試しに手話のサークルに行きました。そこには聴覚に障害のある人たちがたくさん居ましたが、誰一人として私のように暗い人は居ませんでした。私のように病気のことで落ち込んでいる人ばかりなのかなと勝手に想像していたので皆明るくてフレンドリーでとても驚きました。その姿がかっこよくて、私もこんな風になりたいと思いました。

 世間では意外と手話は知られているけれど実際にはできない人が多いということに気付きました。それから両耳が聞こえないろう者の方から、健聴者の人ともっと会話をしてみたいという話を聞き、ではどうしたらろう者と健聴者が会話することができて、健聴者の人にも手話を身近に感じてもらうことができるのか、どうしたら私たちのような障害がある人とない人との壁がなくなるのかを考えた時、手話のカフェを作ったら良いのではないかと思いつきました。誰でも気軽に来られ、カフェで手話を学ぶことができて、健聴者とろう者が楽しくコミュニケーションを取れる環境のカフェを作りたいと思いました。

 その夢に少しでも近づくために今学校で、さまざまな資格を取得していこうと日々専門の勉強を頑張っています。

 世の中にはきっと私のように、病気で苦しんでいる人がたくさんいると思います。そんな人達が、このカフェに来たら気持ちが落ちつき、元気が出ると言ってもらえるようなカフェを作り、たくさんの人を幸せにしたいのです。


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