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東日本大震災情報
東北3県の会長に聞く(3)

被災地の明日を担う若者を教育機関として着実に育てよう
社団法人岩手県専修学校各種学校連合会 会長 龍澤 正美



 東日本大震災の発生から1年が過ぎた現在も、被災地は苦境のただなかにあります。瓦礫などの処理はすでに撤去から焼却処理の段階に移っています。しかし、瓦礫は膨大な量であるため、到底地元だけで処理することは不可能です。このため他県の市町村に受け入れを依頼していますが、なかなか理解が得られません。またこの冬は厳しい寒さが続くなか、仮設住宅で暮らす人々の心身の健康も心配されます。寒さのせいか全国からのボランティアも減少傾向にあり、息の長い支援活動が望まれています。こうした苦難の一方で、復旧・復興に向けて共に支え助けあう人と人との絆が深まりました。災害の恐ろしさと同時に、人の温かさとたくましさを再認識した1年でした。

 あの日、私の学校のひとつが盛岡市内の市民文化ホールで卒業式を挙行していました。地下のホールでしたので危険を感じるほどではありませんでしたが、とにかく永遠に続くと錯覚するような長い揺れを経験しました。式は終盤に近く、そこで中止し帰路に就きましたが、停電で闇に包まれた盛岡駅の東口には2千名ほどが集まり、警備員が群集の整理をしていました。全ての交通機関が止まり、その物々しい雰囲気に異常事態を感じ取りました。

 唯一の情報源であるラジオからは、その晩、陸前高田市や大船渡市、大槌町などが壊滅状態というニュースが流れてきます。「壊滅ってどういうことなのか」。真っ白になった頭でその単語を繰り返していました。

 ご存知のように、岩手県は内陸部と沿岸部で被害に大きな差がありました。岩手県専各連合会の会員校は盛岡市を中心に大半が内陸部にあったため、一関や奥州市など一部の学校を除いて建物は軽微な被害で済みました。学生・生徒もほぼ無事でしたが、親御さんを亡くされた学生が数名おります。私の学校では入学予定者がひとり犠牲になり、福祉系の学校は特に被害の大きかった沿岸部から来ている学生が多かったため、家を失った者が100名を超えています。私どもの関連校だけでも、150名ほどの学生が津波で実家を流されました。

 震災直後から会員校あげて安否確認に取りかかったのですが、全て確認できるまで1か月近くを要しました。まず震災から10日近く、固定電話も携帯も通じません。唯一メールなら届くと分かりましたが、今度は学生全員のメールアドレスの控えがない。この時の教訓から、メール連絡網を整備した会員校もあります。

 安否確認に1か月近くを費やした主な原因は、沿岸部被災地の学生の所在がなかなか掴めなかったからです。帰省中だった学生の多くは避難所にいましたが、立ち入り制限があり元気な姿を確かめるのは難しい状況でした。本校では1名の職員がなんとか被災地に入り、戻ってきてはその惨状を報告してくれました。瓦礫の山と猛烈な悪臭、報道で見るのとは全く違う光景だったそうです。

 なお卒業式は、ほとんどの学校が済んでおりました。入学式は、被災者の状況をそれぞれに考慮して、予定通りの日程で行った学校と、1〜2週間程度繰り下げて実施した学校がありました。

国境を越えた絆

 留学生の動向は出身国によって違いました。私どもの学校の日本語教育部門にはベトナムから70名、中国から30名、その他10名の留学生が学んでいますが、いち早く帰国したのは中国の学生でした。中国大使館から避難指示が出ており、日本語しか話せない在日の学生も含めて震災の2日後には半ば強制的に全員帰国しました。ベトナムの学生は個々の判断で行動しており、半分は帰国しましたが、現在はすでに全員戻っています。中国の学生も5名以外は戻りました。

 留学生に元気をもらったこともあります。震災から1か月後、ロシア出身の学生がレストランでアルバイトをしていたので事情を訊ねたところ、電話連絡がついた母国の父から、「そこに残って日本人と一緒に頑張れ」と逆に激励されたそうです。またベトナム出身の学生は、泣いて引き止める両親を振りきって再入国したときの心境を、入学式の歓迎の言葉で新入生にこう語りました。

 「日本は戦後素晴らしい復興を遂げた。今回もきっと立ち直るだろう。(再入国を)悩みに悩んだが、東北の復興の過程に立ち会えるのは、自分にとっても得難い機会であると決断した。そういう意味で新入生の皆さんも良い時期に入学したと思う。共に学ぼう」。支えるだけではなく、自らも震災から何かを吸収しようとする――。期せずして場内から拍手が湧くほど感動的な挨拶でした。国境を超えた人の絆を感じました。

専門人材育成事業への参画

 被災者への初動支援は、盛岡市内に下宿する在学生や入寮生に、およそ1か月間、米や野菜などの食糧を届けたのを皮切りに、新入生・在校生を問わず、希望者には衣類や寝具類、文房具等を提供しました。また被災学生の心身が少しでも安定するよう、教職員や学生の協力者が一丸となってケアに取り組み、震災の影響による退学者や、入学辞退者の防止にも努めました。被災地のボランティアも継続的に行っています。

 見切り発車で行ったのは就学支援です。先ほど申し上げた実家を流失した学生の大半は、生計中心者である親が失職する事態にも見舞われていました。そうした学生に対し1年間の学費全額免除を早々に決め、同じ状況にある入学予定者にも同様に対応しました。とりあえず1年猶予、と決めただけで見通しはありません。その数は150名にも上りましたので、(免除金の)総額は億を超えたはずです。心情としてそうせざるを得なかったのですが、学校経営が立ち行かなくなる危機でもありました。そんなとき、平成23年度の第一次補正予算に計上された『被災児童生徒就学支援等臨時特例交付金』の活用により、専修学校等の授業料等が減免の対象となりました。大げさにいえば途方に暮れていた私達にとって、まさに救済措置でした。これもいち早く国に働きかけて下さった、全専各連をはじめとする専修学校の皆様のご支援のおかげと心より感謝しています。ただその後、各地方自治体の交付のスピードには温度差があり、岩手県は遅れぎみだったので少なからず困惑しました。

 さらにその後、第三次補正予算では、『東日本大震災からの復旧・復興を担う専門人材育成支援事業』において、岩手県専各連合会の会員校2校で、家電組み込み、医療情報事務、介護の3分野が採択され、2月初旬から本格的に事業を実施しています。これらは水産加工業や漁業従事者をはじめとする、離職を余儀なくされた住民の方々に向けて、新たな分野への挑戦や資格取得等のサポートについて、我々専修学校の教育資源を活用して行うものです。すでに介護分野では沿岸の宮古市で、訪問介護員2級取得を目指した「宮古教室」を開催していますが、募集期間が短かったにもかかわらず、24歳から71歳までの9名が参加し意欲的に講座に取り組んでいます。専門人材を育成し地元へ雇用吸収するこの事業は24年度も継続されますので、この場を借りて会員校の応募をお願いいたします。

専修学校のスキーム構築を

 震災当日、最も役立ったのは緊急防災マニュアルではなく、「津波てんでんこ」でした。これは「自分の責任でそれぞれ必死に逃げよ」、という代々受け継がれた教えです。今後は祖先の教訓を活かしながら、メールによる安否確認情報システムの構築など、より実効ある防災対策に会員校をあげて取り組みたいと考えています。

 また震災の影響は、今後ますます深刻化する可能性も孕んでいます。沿岸の主な雇用の場であった漁業、水産加工業、そして工場等の企業誘致における事業所の復旧が遅々として進まず、人口の流失に伴って事業所の縮小や撤退が加速するという、T負のスパイラルUに陥ることが懸念されるからです。

 私達は、将来を担う若者を育成する職業教育機関として、沿岸部はもとより岩手全県を視野に入れた主体的な復興策を推進して、この悪循環から脱却しなければなりません。従来とは異なる産業構造のあり方や、新たな事業を雇用創出に結びつける起業家の育成などにおいて、いまこそ社会ニーズに即応できる専修学校の特性を発揮する機会だと考えています。関係者の皆様には復旧・復興支援のみならず、地域に貢献する専門人材を輩出できるような個別的および組織的な専修学校のスキームづくりに、ぜひともお知恵をお貸しください。それはきっと普遍的な専修学校の振興につながると確信しているからです。(平成24年2月23日取材)


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